週末に、とてもありがたい中国人観光客に恵まれた。おかげで、再び意気消沈していた私だが、反省まで迫られる結果となり、とても明るい気分になった。
先年の中国旅行で、私はもうあと数時間もあれば桃源郷、とうところまで踏み込んだことがある。シャンギリラとの道案内が始まっていた。
いつしかこの物語を知り、意識するようになり、私は庭づくりの励みの1つにしてきたようなところがある。それだけに、引き返さざるをえない日程をとても辛く感じたものだ。
当週は、ベニシダレウメが満開になった。かなり遠方から見える2本に加え、あと数年もすれば、この3本目も見事になるに違いない。さらに、あとしばらくすれば、古木のごときスモモ(樹齢50数年)とモモ(樹齢はかなりだが、たいして大きくはない)に加え、各1本のアーモンド、プラム、あるいは八重の枝垂れのハナモモなどが次々と咲き始めるに違いない。
前の道を行く人が、この庭を眺め、憧れ、とりわけ子どもたちに、私がそうであったように、「こんな庭を造りたい」と思ってもらいたい。だから、この時期はいつも少し誇らしげな気持ちにされる。ところが、このところ、その逆の心境にされる小事件が次々と生じていた。
これ以上踏み込んでプライバシーを乱してもらいたくはない、と言うところに通センボの竹を横に渡しているが、それをまたぎ越えて侵入する人がいる。写真を撮る人が続出し、目があったりするとソーリー、ソーリーとつぶやきながら引き返すが、こちらの気分はすぐには戻らない。そのすべてが東洋人なので、わが身のことを棚に上げ、「東洋人は」と、十羽一からげにしてきた。
まず、白人や黒人で、通センボの竹まで踏み越えて侵入する人はまだ現れていない。それどころか、NZのみかさんたちの助言をえて、昨年から「プライバシーの方句」を示す表示さえ外したが、そうした方向に、通センボまで20mほどありそうなのに、踏み込む人は現れていない。だから「東洋人は」と言う心境にされたが、それ後まず、これが間違いであったことに気づかされ、ついには痛く反省させられるところとなった。
その始まりは、踏み込むのは黄人の女性に限られ、まだ男性では現れていないことに気付かされた。その後、妻たちの経験も勘案し、分かったことがある。その第一は、台湾人で、こうしたプライバシーの侵害や、それに近いことをする人がまだ現れていないことだ。だから、「東洋人は」という考え方もまず反省し、恥じ入った。
そしてもう1点、踏み込むのは中国の中年女性が中心だ、と知った。「マレーシアから」と応えるなど例外も少しはあったが、中国の中年女性が主で、それも単独ではなく、3人とか4人連れが多い。だから私は憶測し、同情さえした。きっと、この人たちの中には「シャングリラ」という地名の存在を聞き知り、ソコがかつては桃源郷であったことも知っており、その記憶が衝動に駆りたてたに違いない、と考えさえした。この憶測のほどは、まだ明らかになっていない。
その前に、とてもありがたい事件が生じた。週末に思い付いた仕事(ササやドクダミの根の侵入を防ぐブロック作りの)作業の最中に、黄人の若い2人の女性に気付かされた。2人は、生け垣の向こうから、シダレウメを見上げ、しばしたたずんでいた。やがて英語で、写真を撮っても良いだろうか、と問いかけて来た。思わぬ質問を受けたものだから「シュアー」という返事が出ずに、「プリーズ」と咄嗟に応えた。
2人の若い女性は、随分長い間写真を撮っていた。そこで、庭の中の入って撮りたいか否かを問いかけると、それを待っていたと言わんばかりに喜んだ。それからさらに数分後、もう2人の友だちがいるが、それも庭に入らせて良いか、との質問を受けた。ここでも「シュアー」は出なかった。
4人は10数分にわたってとどまり、ベニシダレの側で、一人ずつ、あるいは3人が入れ替わってなど、写真を撮り合っていた。私の思いつきが始めさせた作業が佳境に達しており、4人一緒に撮るサービスを思いつかなかったことが、残念に思われ、これも当週の反省の1つだ。
ちなみに、このたびのブロック作業のおかげで、かつての赤土の地質が地層のごとくに露わになり、上部20cmほどを黒土にした歴史を振り返らせた。
福島県では、この表土を、除染と称して引っぺ返し、捨て去らせているわけだ。これがいかほどの犯罪的行為であるかを政府や東電の人は知らないのではないか。間違いなく、ナ計り知れない国家的損失でもある、
|