妻はこのたびの個展に合わせて、小さな人形作品集を造っている。そこに、人形に着せる衣装と同じ衣装を、サイズを大きくしてこしらえ、モデルに着てもらって載せようとしている。だから、このところ、モデルになってもらいたい人に、時々アイトワに出かけてもらっている。妻が憧れてお願いした女性と、義妹の孫だ。
その女性は、歩いても来れる所にお住まいだが、いつも4歳ばかりの男の子を自転車に乗せ、小学生の息子と自転車を連ねて訪ねてくださる。この日は、その下の子と一緒だった。
その子は一人で庭に飛び出し、畑に駈けて来た。畑で除草に取り組む仕事中の私を見つけた。私は格好の腰を伸ばすインターバルの時と思った。そしてすぐに、フェンネルの苗を畑地に下ろす作業を思いついた。畑で自生した苗を、温室で冬を越させるために平鉢に掘り上げてった。その下ろす候補地として、あらかじめ「個離庵の側」を選んでいたから、滞りなく作業を進めた。
小さな穴を掘った時に、この子は「骨」っと、声を上げた。見ると、土の中から、小さな骨が顔を出していた。だから私は、「この骨が出てきたところを、知っている」と尋ねた。知る由もない。私は過日崩した堆肥の山に違いない、と見た。この候補地にその堆肥を鋤き込んでいたからだ。「教えてあげよいう」といって先に立った。
この子はさらに、同じような骨を2つ見つけた。「お母さんに見せる」といって駈けて行った。「いい子だなあ」と思った。崩した堆肥の山は、野生動物にせせられて広がっており、2つの骨の他に、2つの箸置きにも顔をのぞかせていた。この子は、骨と違って、箸置きの方が色彩豊か、輝いていたが気付かなかったようだ。あるいは、気付いても、感心の対象外であったのだろう。
ほどなく「お母さんに鶏の骨、と教えてもらった」と言って戻って来た。
母親も、衣装合わせを終えたとみえて、畑にやって来た。挨拶を済ませた後で、子どもが骨を見つけたところに案内してもらっていた。この人は、子どもが大事にする土まみれの鶏の骨を、子どもが思うままにさせていた。きっと持ち帰って、兄に見せたいのだろう。
週末に、個展の案内状が刷り上がって来た。映画『ジャングルブック』のモーグリを妻は頭に描いていたのだろうか、その主人公のように私には見えた。写真集も、個展が始まるまでに上がりそうとか、ボランティアのモデルを見るのが、楽しみだ。
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