延命治療

 

 この通院で、3つの良いことがあった。まず、いつもの院長に診てもらえたので、思わず甘えたことだ。前回、若い医者に「処置(する価値が)ナシ」と通告された奥歯に関する頼み事だ。

 完治できる見込みがない歯であること。処置しても一時しのぎに過ぎないこと。これらは承知している。しかし、私は命そのものがはかない年齢になっていること。老齢化が急速に進む日本であること。これらを勘案し、私を実験台とみて試みる価値がある処置ではないか、との相談であった。

 世の中には、寿命の長短よりも、ピンピンコロリの方に興味がある、という人もいるだろう。そういう人は、奥歯での咀嚼能力を1日でも長く保ちたい、と思いがちであるに違いない。

 その咀嚼能力のある奥歯が、今や私は2組(4本)を残すのみになった。その1組の1本は歯根が1つになっており、「処置ナシ」と通告された。とはいえ、ぐらついてはいない。しかし、強い力がかかるとポロッと行きかねない。あとの2本の歯根は、虫歯が分断したわけだ。その空洞にセメントなり硬化プラスティックなりを詰め込むことで補強し、咀嚼機能を延命できるのではないか、と相談した。

 「やってみましょう」と言ってもらえた。
 とはいえ、私の歯がモロクなっていることや、風化するかのごとく痩せかねないことを聞かされ、いかほどの延命効果か、分からないとの注釈がついた。もちろん、それも承知で「ゴー」となった。私は心の中で、院長に、その後の成り行きをキチンと報告したい、と思った。

 「そもそも」と、治療を受けながら、考えた。かつて歯科衛生科があった短大に勤めたおかげで、私は歯の特殊性を知りえた。臓器の中で、自然治癒があり得ない唯一の部品のようだ、と知った。

 それを思い出し、「だから」と考え始めた。これが2つ目の良いことになった。歯科医が陥りかねない錯覚があるのではないか。それは「完治」を目標としがちになる傾向だろう。この逆の傾向も医療界にはあり、その疾患は「ガン」だろう。治療をしても、完治ではなく、アタマから「余命は」と考えがちであるに違いない。この意識の差異に気付かされた。

 「そうなんだ」と得心した。人間の歯は、「50年も持てばそれで十分」の域でまだ留まっているに違いない。人間は近年、異常な生き方に移行し、平均寿命を急速に延ばした。だが、自然治癒能力がないのに、歯は進化が追いついていないに違いない。

 「そもそも」と思い始めた。これが3つめの良いことに結び付いた。動物で、人間以外に、増殖能力を失いながら、かくも余命を持ち得ている種は他にない、と聞かされていたことを思い出した。ならば、それなりの意識の転換も必要ではないか、そういう自分には出来ているか。

 「それにしても」と過去を振り返った。短大で、学長の白羽の矢が私に立ち、受ける覚悟をした時のことだ。私は「日本1の」の短大を目標にして、受けた。多くの短大は4年制への移行を目指していたが、私は短大を「ウリ(売り言葉)にしよう」と考えており、教職員に「4年制への移行は考えない」と標榜し、学生には「一隅を照らす」を呼びかけた。その戦略は、人間の人間たるゆえんを強化することに賭けることにしたわけだ。

 全学的には「小さな巨人」になろう、と呼びかけた。4つの学科には、それぞれ個別の目標を付加した。たとえば、歯科衛生課には「治療から予防」への転換。を呼びかけだ。当時、副学長は、保険所長の経験者で「誠実で実直」を絵に描いたような女性だった。だが、彼女に公表間に相談すると、「学長、そんなことをしたら患者さんがいなくなります」と心配の声を上げた。

 勤めていた短大は、片親家庭の学生の比率が高かった。それだけに大切にしたいことがあったし、活かしたいところもあった。多感な心の持ち主が多い、と見たが、それを活かしたかった。そこで出口責任も標榜した。有償の広告は控えたが、学生が母校に帰り「この学校は良い」と後輩に勧めたようだ。2年目にして全学科定員オーバーになり、「日本1の短大」に出来る、との夢を確かにした。

 ところが、法人が「せめて歯科衛生課を3年制に」と願い始め、学科長がそれに乗った。ひょっとしたら、学科長が標榜して法人が載ったのかもしれない。「ならば」「それも一理ある」と見るのが私の流儀だ。厳しい責務であればあるほど「借りものはサッサと返したい」。

 目を閉じて治療を受けながら、こんなことまで思い出した。これが3番目に良いことに結び付けた。どうして「あそこまで追い詰められた気分になったのだろうか」と、次に商社を辞めた時のことを振り返り始めた。そしてすぐに、それから8年後に『ビブギオールカら』を「次代の旗手」として標榜したくなったわけが分かった。

 鉄腕アトムや、その妹のようなロボットが作られるようになっても恐れるに足らない人間を目指そう、と叫びたかったわけだ。スペシャリストはすぐにロボットに取って代わられかねない。『ビブギオールカら』の国にしておかないと、資源小国の日本は安泰を願えない、と感じていたのだろう。

 それはともかく、この日はもう1つよいことがあった。通院時間が、妻の散歩の時間と重なったものだから歩くことになった。往路は緩やかな下り道、と言うこともあって、30分でたどり着けることや、まだ余力がありそうだ、と分かった。さらに、治療が長引いたおかげで、妻の散歩の時間が終わり、復路は車で迎えてもらえた。もちろん、その余力は除草に傾けたかった。