かつてここで開催された尺八と三味線の合奏会に、津乃吉の吉田さんに招かれたのがキッカケで、玄果和尚ご一家と知り合えた。厭離庵は私の原風景の1つであった。
遠い昔、母や姉は時々茶事で厭離庵を訪れていた。あるとき、私は強引に母に頼み、連れて行ってもらえたことがる。年のころは、慧桃(えとう)君より上だが、実生(みしょう)君より下だったと思う。落ち着きがなかった私が、子どもながらになぜか緊張し、中門(茶席への入り口)のあたりで実におとなしく、長時間にわたって母を待ち続けた。おそらくおとなしくしていることが連れて行ってもらえる条件、で合ったのだろう。
そのころは、尼寺であった。だから余計に、騒いではいけないところだし、いたずらなんてもってのほか、と子ども心に思い込んでいたにちがいない。長時間にわたって実におとなしく、行儀よく待ち続けたように記憶している。眼だけキョロキョロさせ、足はモゾモゾさせていたに違いない。
思えば、これに懲りたのか、その後、そうした「待ち続けること」を過日まで控えて来たのだと思う。かつて奈良まで妻と出掛け、法隆寺秘宝展会場にたどり着いたが、長い行列を見て引き返している。食事にしても、長い行列を待つぐらいなら抜くほうがマシ、と覆っている。
過日の「待ち続けること」とは、野田先生ご一行と、行列がないはずの「戦国時代展」に出かけ、20mほどの行列の尻にならんだことだ。それはそれなりに、行列の何たるかもも学んだように思う。
厭離庵リンク
|