「安全」か「自由」か

 

 時代は国民を分断している。プライバシー云々などはその典型だ。逆に、国は国民を丸裸にしつつある、私たち国民が「烏合の衆」のごとくになることを求めていたのだろう。いつの間にか、人が「烏合の衆」のごとくに集うところはことごとく監視カメラに占領させてしまっていた。それは国民が「自由」よりも「安全」にご執心に ならざるを得ない心境に追い込まれていることを示す動かぬ証拠だろう。

 これでいいのだろうか、と思う。

 これとはまったく関りがなさそうなロフトの造作問題の話であったが、私は「なぜか」1つの確かな気持ちで選択をした。「安全」よりも「解放感」を、ココロの「自由」を、優先した。

 ロフトの主要窓に、落下防止柵をつけるか否か。狭くて急な曲がり階段の上部の床に、落下防止柵をつけるか否か、をテーマに語らったが、私は「安全」より「解放感」を、ココロの「自由」を優先した。それが、アイトワが願う次代の「愛」に通じるように思ったからだ。
 

ロフトの主要窓

狭くて急な曲がり階段の上部の床