大いなる学び
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このたび初めて、長勝鋸では鋸の刃の「目立て」と言わずに「研ぐ」というが、その意識や考え方などの根拠を学んだ。「2種の刃を組み合わせた溝切りカンナ」のごとき刃を、一列に幾つも並べた様な原理のノコギリであり、まさしく刃を「立てる」ではなく「研ぐ」だ。 この原理が異なる刃のノコギリであるがゆえに、使い手には戸惑いを感じさせて当然だろう。そうとは知らぬままに私は、このたびの勉強会に参加したが、長津師匠が講義の冒頭で「長勝鋸は使いにくい、という人がいますが」と問題提起し、意見を求めた時は驚いた。 対して職人さんたちが、私が感じていたのと同じ問題点を「使いにくさ」として問題視していたことを知り、もっと驚いた。と同時に、かつて訪れたアメリカのパタゴニア社のチャイルドデベロップセンターの成果や、日本帝国の戦闘機「鐘馗」などの不人気を思い出し、反芻した。 実は、私は、長勝鋸が「優れたノコギリ」であるということを前提にして使い始めたから、使いにくさとは受け止めておらず、私の技量不足をいかにおぎなえばよいのか、と悩んだ。そのうちに、師匠の助言「力を入れずに引け」を思い出し、「なるほど」と得心するにいたっている。握る時に小指を使わないように、つまり力を籠めないように工夫した握り手さえある。 だからその後は、既製の工業製品のノコギリではなく、長勝鋸のノコギリを用い続けることに決めたが、このたび初めて、その気にさせた根拠に触れたわけだ。「目立て」する刃ではなく「研ぐ」刃の活かし方を理屈での会得を超えて、実践でより工夫して、なれたくなった次第だ。 パタゴニア社のチャイルドデベロップセンターでは、4歳になるまで一切、いわゆる読み書きソロバンを教えていなかった。にもかかわらず、小学校に入学後は優秀な成績を収めるようになり、望ましき進学コースを歩んでいた。その謎が、理屈では知っていたが、やっと実践的に会得できた気分だ。 日本帝国の戦闘機は「ゼロ戦」を筆頭に、運動性能に優れており、一時は空の王者として制空権を独り占めにしていた。だが、グラマンF-6F(?)が出現後、惨めな立場に追いやられてゆく。それは、運動性能と引き換えにした欠点があり、その欠点を突く戦法を米軍は研究し、グラマンF-6Fを生み出しており、一撃離脱戦法なる戦法を採用したという。もちろん、グラマンF-6F的な「鐘馗」などの戦闘機を日本帝国も用意したが、日本のベテランパイロットは運動性能に固執しており、その欠点を突かれ回っている。いわば「戦略」上の欠落を「戦闘」レベルの努力でシャカリキになった悲劇だろう。 それはともかく、楽しい勉強会だった。 とりわけ、長勝鋸の技術の伝承について、切望する声を職人さんがとても率直に表したが、なぜかそれが心にとても強く残った。要は「師匠はお歳だから」「シッカリ弟子に受け継がせておいてほしい」との声だった。「だから」と言わんばかりに、長津勝一師匠は技術伝承の集いを昨年から始めたが、これが定着し、ルーチン化することを切に願った。 |
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一列に幾つも並べた様な原理のノコギリ |
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工夫した握り手 |
楽しい勉強会だった |