学習テーマの教材

 

 学生は大きな石を運んだが、これは私に課題を用意し、残して2人は帰っていった。次回来訪までに回答を用意しておきたい。

 裏庭から囲炉裏場へ剪定クズを運んでもらったが、これは2人への課題の1つを用意するためだった。運んだ剪定クスの枝を、鉈(ナタ)で払わせ、鉈の使い方を学習させたかった。

 次に、木材クズ(かじつ、風呂場の窓先に収納庫を造ったが、その関係で出たクズだ)を、処置せずに残し、この日に備えた。それは、ビス釘を抜き、風呂焚きの燃料にする作業を要したが、振動ドリルの使い方と、鉈と鋸の活かし方を会得する作業に供せられた。

 だから、ネジ穴が崩れたビス釘があり、振動ドリルではうまく抜けない、と言い出すのを待った。そこで、あらたに鋸を与え、鉈と合わせて使う方法を試して見せた上で、後は任せた。2人は「OH!」との声を幾度も上げながら、鋸で切れ目を入れ、鉈で割って、ビス釘を取り去っていた。

 機械の習得は人間を堕落させ、道具の習得は逆に人間としての「生きる力」を授けさせる、と私は見ている。道具は人間の延長だ。道具は人間を主人にするが、若者にはそお道具を活かす機会に恵まれてない。社会は逆に、道具を不要にする社会にして、「生きる勇気」と「生きる知恵」を授けなくなっている。それは、人間をずる賢いケモノにしかねない。

 欲しくなりそうなものを見せ、欲しくなった時に手に入れさせるサービスが流行っている。これはその好例だろう。次第に、欲しくなりそうなものが載った情報に条件反射的に近づき、欲しくなってしまう人を造る。欲しくさせる人と欲しくなる人、貧富格差が拡大する。

 これは避けたい。その学習テーマすらが、この世の中では減っている。