40年前の予見

 

 ファッションをシステムとして扱うことで、ファッションをビジネスに有利に活かそうと試みていた私は、予見の大切さに気付かされ、興味をそそられるようになった。

 まず、ファッションの定義を見定める必要があった。そして、その転換が迫られていることを予見した。当時はまだ、ファッションは「都都市象」の1つに留まっていたが、やがて工業社会はファッションの国境を取り払い、「上流社会化現象」にする、と読んだ。いや既に、「上流社会化現象」になっている。だから、ファッションビジネスは「上流社会化産業」だから、ボロ儲けの手段に活かせる、と睨んだ。だが、すでに、早晩、この定義は修正が求められる、と見て取ったのがヨカッタ。

 だから、当時はオートクチュール全盛の時代であったにもかかわらず、その凋落を予見した。そして、服飾の不文律「ドレスルール」を破壊する動きが台頭し、衣服の趣味化(スポーツウエア―化)が常道化する、と読んだ。これは、ファッションが諸悪の根源になるとの予見に結び付けた。だから、早晩、定義の修正が求められる、と睨んだわけだ。なぜならファッションビジネスが、経済活性の原動力であり、それが環境破壊や資源枯渇化を促し、南北格差問題も深刻にするにちがいないとの予見だった。

 この思いを、一刻も早く文字にしておく価値がある、との想いに駆られた。

 そこで、潮時が来た時に、一瞬の判断で脱サラを決意し、1時間後の「辞任を書」を投函できた。当時、経済学者の多くは、バブルをほめたたえていた。私は、バブルに浮かれる社長(日本の服飾ファッションビジネスの頂点にいた)に逆らい、これを好機と見て社長室長を辞し、拙著『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』をしたためた。

 時は、バブルの最盛期、わが国は本格的消費社会に突入していた。それだけに、一人でも多くの人に「ポスト消費社会の旗手」になろうと決意してもらいたかった。さもなければ、日本は低迷する。勤労者の中から一人でも多くの人が「ビブギオールカラー」を目指し、生き方を改めてほしい、との願いだった。この「ビブギオールカラー」化に多くの人が成功すれば世界は「日本の時代」なる、と予見した。

 今からでも遅くない。まだ日本なら、間に合う。日本の職人技が細々であれ生き残っている間に、社会が「ビブギオールカラー」化に方向転換すれば間に合う。「平和国家の標榜」を徹底し、ポスト工業社会への移行を国家戦略として取り組めば、世界を「日本の時代」にできる。

 だが、残念ながら、わが国の服飾ファッションビジネスは。この転換に失敗し、「上流社会化産業」のままに突っ走り、総崩れ状態になっている。弱電産業が、やがては自動車産業など、他のファッションビジネスも「上流社会化産業」に留まっており、早晩凋落するだろう。

 そもそも現政権は、しかるべき人類史(しかるべき文明の転換)に逆行している。早晩その失策が、誰の目にも明らかになるだろう。

 わが家のいわば「蔵」に当たるロフトに、久しぶりに上がったおかげで、さまざまな収穫があった。過去を振り返り、結果か、それに至る経過(プロセス)か、と考え直したことだと思う。

 残念ながら、現政権は「結果」を急ぎ、それに至る経過(プロセス)を疎かにしているだけでなく、目指すべき方向が「逆行」だ。早晩それが明らかになるだろう。