大発見
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成人後の、最初の恩人となった大内義男さんを思い出した。夏休みに東京に招かれ、突発事態が生じて山形県の面白山に連れて行ってもらえた。 そこは、冬はスキー場。夏はその宿泊設備を黄銅鉱山の飯場にして、鉱山夫が生活していた。私はボランティア工夫となってしばらくそこで過ごした。もちろん得手も活かし、東京に早目に帰ることができたが、その折の手土産がこのたび出て来た。 「マッターホルンのようだろ」「存在感がありますね」と夫婦で語らった。とても重くて、われながら若さに感心した。リュックに積めて、わが家まで持ち帰ることになった。 この旅で、まず朝の挨拶の仕方から説教され、感謝した。母は厳しいしつけをしたが、父母への挨拶の仕方は教えられておらず、学校でも学んでおらず、とてもありがたかった。 横浜に連れられ、初めて餃子を食べた。母はニンニクが入ったものを一切受け付けなかった。 その人のお宅には庭続きの隣があり、跡を継いだ弟が住まい、弓の師範であった。しかも、さまざまな人に巡り合えそうな道場だった。 面白山駅の最寄りの旅館で、初めて鯉コクを知り、その食べ方も知った。 食ン場では、タバコが東京と同じ値段で売られていることに気付かされ、驚いた。生乾きの黄銅鉱を詰めた50kgの袋を、1km余の山道を運べば50円もらえたが、「いこい」が1箱50円だった。この事実を知ったしった時に、私は南北問題の発生を予感している。その根源と本質を知り得た気分にされた。 この食ン場で、初めて塩辛とそばの葉のお浸しを食べた。 このマッターホルンのような黄銅鉱のおかげで、恩人を思い出せた。 |
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私はボランティア工夫となってしばらくそこで過ごした |
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その折の手土産がこのたび出て来た |
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