ホッとした

 

 実に奇妙な形のフレームになった。それは、まずこの庭の一角は有機的な形状だし、そこに苗木を年に2〜3本ずつ不規則に植えて、数年がかりで出来上がった小さなブルーベリー園である。しかも、防鳥ネットを張る必要性など考えてもいなかったからだ。

 だが昨年、遅ればせながら防鳥ネットを張ってみて、その効果のほどにビックリした。翌日から沢山収穫できるようになったからだ。前日まで、熟れた分から順に小鳥に、朝のうちにすっかり食べられていたことを思い知らされた。

 もちろん、防鳥ネットを被せるには支柱がいる。ネットを被せるのも一仕事だが、その支柱を組み立てる作業は大仕事だ。事後の解体も面倒だ。とはいえ、昨年収穫したブルーベリーでつくったジャムを味わいながら、防鳥ネットを張る苦労と天秤にかけると、どうしてもジャムに軍配を上げたくなる。そこで、せめて支柱だけでも恒常的なものにすれば、と考えた。問題は、防鳥ネットが不要になり、剥がした時のことだ。不細工な形状では、丸裸のフレームが醜く見えるに違いない。

 とはいえ、理想の形にお誂えするわけにはゆかないだろう、と考えた。理想の形を口頭で伝えるのも大変だし、模型を作るのも面倒だ。それは、アケビの棚を別注した時に経験している。アケビの棚は軽トラに積み込めたが、防鳥ネットは組みたて式にせざるを得ない。キット高くつくに違いない。

 そんなこんなで、前年度の経験を活かし、畑で用いてきた既製のフレームを用いて造ってみることにした。前年度は適当に複数のアーチ状の支柱を立て、その上に防鳥ネットを被せた。ちょっと強い風が吹いておれば、つぶされていたに違いない。恒常的な支柱となると、そうはゆかない。第一、ネットを外し裸になった時の姿が、みっともないことこの上ない。

 そのようなわけで、悪戦苦闘が始まった。いつものごとくに、何度かに分けて、組みたてたり、解体したりしながら、完成した形をイメージしながら、作り上げる方式を採用した。既製の支柱は2組あった。幸いなことにパイプの太さが同じなので、互換できる。円弧の分はカーブが2種。直線の分は土に打ち込む長さが少し違う支柱が2種と、立てた支柱の間を横につなぐ長さがかなり違う分が2種あった。それらをあれこれ入れ替えながら、組みたて始めた。

 やむなく、2か所だけ、直線のアルミのパイプを金鋸で切断したが、何とか出来上がった。

 実は、この作業の過程で、別の造作にも取り組んでいた。それが、防鳥ネットのフレーム作りをあきらめずに取り組ませ続けたように思う。それは書斎の出入り口に踏み石を設けたい、との長年の願いの顕在化、といってよい。幸いなことに、方丈を造る課程で生コンが少し余りそうになった。その時だった。瞬時にして、発泡性プラスチックの空箱を3つ選び出し、少し余った生コンを流し込んでもらった。そして、時同じくしてこの度、その3つを並べてみた。まんざらではない。

 この偶然性の賜物に勇気を得た。曲線や直線のアルミパイプを、あれこれ入れ替えながら、まるで、組みたて式防鳥ネットフレームを別注するために、その模型を作るかのごとき作業や工程に取り組んだようなことになった。そして出来上がった。しかも、こうした点では最もムツカシイ人の好評価も得た。妻の評価だ。妻は、ややもすると、機能より見かけを気にする人だ。そのムツカシイ人の好評価を得ることもできた。

 それはひとえに、いつも妻の顰蹙を買いながら追い求めてきた経験や体験の賜物であった、と思う。なぜか私は、第2次世界大戦時の軍用機に惹かれる。ずいぶん模型を作ってきたし、写真なども集めて来た。もちろん戦記も読んだ。妻は「戦争なんて」とか「獰猛ね」などと見向きもしないが、私はあきらめきれなかった。その内に、分かって来たことがある。「良い形だな」と思った戦闘機が優秀な戦果を上げていたことだ。それは機能性の賜物ではないか。

 このたびの防鳥ネットフレームも、大きなネットを被せたり、はぎ取ったりするときの機能性のことを第一に考えた。それがヨカッタのだと思う。

 このたび、北村さんを迎えていたのもヨカッタ。「良い恰好ですね」と褒めてもらえた。彼女も機能をとても大事にする服飾デザイナだ。そのお眼鏡にもかなったのだろう。

 

その3つを並べてみた

戦闘機