ステイケエイション
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バケイションの派生語だろう。欧米人、とりわけ欧州人、中でも質実剛健はフランス人が、究極のバケイションとして創り上げた概念ではないか。これは私の憶測だ。 ドイツを主に、欧州の多くの国にはクラインガルテン(小さな庭、の意)制度がある。社会主義国諸国・旧ソ連圏にはダーチャ(別荘)制度がある。共に、工業社会化のひずみから人間を救う制度だ。工場勤務者として都会に集め、集合住宅などに住まわせる人たちを精神衛生面で救済する制度だ。自然から「人間と言う自然の一部」を遠ざけ。時には切り離してしまうことが生じさせかねない精神衛生面上のマイナスを補てんする制度、として考え出されたアイデアだろう。 フランスは、長期にわたるバケイションを普及させた国だが、おのずとステイケエイション型になっていったのだろう。自然豊かな「お気に入りの地」に、あるいは「身丈に合った地」に毎年のごとくに出かけ、長期滞在する過ごし方である。私にはそれが、まるで転治療法制度のような、心身を解放し、リフレッシュする策のように写って来た。 このたびの北村さんは、炎天下だったが、帽子などで身を固め、果樹園の除草に終日を割いたりして過ごした。その初日は、1輪車一杯分のドクダミの除草にも結び付いた。私は、そのドクダミを収穫と見て水洗いし始めたが、半分ほどの量を洗ったところで顎を出した。 翌朝は、網田さんや瞳さんも交えた朝食となったが、おのずと楽しいひと時となった。だが、朝早く旅に出かけたので、洗い上げたドクダミをそのままにして家を後にしてしまった。もちろん、私にはこれを干しあげ、進呈したい人があった。 次の日の夕刻に帰宅すると、妻がその洗い上げたドクダミを天日干しにしてくれてあった。しかも、一つの新しい約束をしていた。私が、干しあげたドクダミを進呈したく思っていた人の奥さんをわが家に迎える約束だった。ミシンの活かし方を伝授することになったという。 なぜか私は阿部ファミリーを思い出した。次のようなエピソードもあった。父とその2人の娘がフランスに招待された話た。それは、阿部夫婦が選んだ新婚旅行に起因する。その新婚旅行は、いわば一種のバーター式無銭旅行と言ってよいが、その賜物だった。 宿泊する先々で、その先々の願いをかなえながら旅を続けるスタイルだが、その先々の願いを十分以上にはたせたのだろう、長期にわたる旅を楽しんだ。夫の寿也さんは家具師の腕を活かし、妻の仁美さんは料理や掃除の腕を発揮し、もう1日、もう1日と滞在を伸ばすようにせがまれたと言う。 それが縁で、寿也さんに声がかかった。だが、2人には小中学生の2人の娘が出来ていた。また、寿也さんが住まいづくりと主夫の役目を担うせいかつになっていた。ならば、2人の娘も一緒に、となったわけだ。きっと意気揚々と3人は出掛けたことだろう。 だが3人は現地で風邪をひいてしまい、ほとんどの滞在期間を寝て過ごすことになった。これも実に楽しいステイケエイションであった、と言ってよいに違いない。 |
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ドクダミを収穫と見て水洗いし始めたが、 半分ほどの量を洗ったところで顎を出した |
網田さんや瞳さんも交えた朝食となったが、 おのずと楽しいひと時となった |