思わぬ読書の時間

 

 とても静かで、ゆったりした素晴らしい空間(同志社大学寒梅館の一角)で、『「戦後保守」二つの源流』田中秀征の第2回「大日本主義を捨てた保守本流」(『本』6月号)をジックリと読むことができた。

 石橋湛山の「日本への想い」は、民が主の「小日本主義」であり、その座標軸(『本』6月号)は権力が主であった戦前から一貫していたことを改めて認識した。だから、自ずと敗戦後のGHQとの折衝態度はデカイ態度になったという。敗戦に打ちひしがれた日本人の中にあって特異であったようだ。GHQの面々の目には、それが傲慢に映ったようだ。アメリカに大きな失策を犯させている。

 アメリカは、世界に冠たる憲法を日本が持つように仕向けたし、それで日本人を狂喜させることにも成功した国だ。だが、その後、その大成功を活かし切れなかったからだ。

 冷戦の顕在化や朝鮮戦争の勃発で浮足立ったのだろう。己を守らんがために日本を防共の捨て石に、と考えてしまったわけだ。折角、憲法9条を日本に持たせておきながら、それを日本人の手で歪めさせてしまった。つまり、解釈改憲させ、再軍備の方向へと歩ませてしまう。

 現日本国憲法は、元をただせば「7人のサムライ」(岸信介など軍国主義の一派が治安維持法などを振りかざして痛めつけた人たち)が戦後に創った「日本国憲法草案」である。GHQは1それを基調に0日足らずでGHQ草案に仕立て直し、当時の日本政府(明治憲法から脱しえない草案しか作れなかった)に突き付け、それをベースに新憲法を仕立て上げさせている。その折に、当時の超党派国会議員14人が日本の自主性や主体性を強調する手直ししている。要は、「7人のサムライ」の草案精神が見事に形となったわけだ。この事実は、NHKが調べ上げて最近の報道で明らかにした(漫画)ところだ。

 石橋湛山は、その日本国憲法に勇気をえており、信念である「小日本主義」に基づく理想国家の建設に立ち向かおうとする。もし、石橋湛山が病に倒れず、政権を維持できていたら、今の日本とは180度異なる国家になっていたに違いない。

 卑近な例だが、昨今では官僚の身勝手な国家情報の扱いようが目に余る。平気で「データを抹消した」などとのたまうことさえある。これは明らかに憲法違反だ。憲法では、役人は公益のために尽くす立場にあるとの1条がある。時々の政権や、いわんや己の都合で国家情報を勝手に扱ってよいはずがない。もし石橋湛山が健在であったならば、国家の情報を時の政権や己の都合で勝手に扱おうものなら厳罰に処す法律を作っていたことだろう。アメリカなどでは、武器を軍人が不注意に壊しただけでも、納税者に謝れとばかりに上官に怒鳴られる。国民にとって貴重な情報を勝手に抹消などしようものなら、厳罰に処されて当然だ。にもかかわらず、つまり憲法違反なのに、罰則規定がつくらずに澄ませていることをいいことに、好き勝手なことをしている。こうしたことも、この1文によって気付かされた。

 それどころではない。国民にとって重要な情報を開示した元次官に対して、「開示するなら現職中にやれ」と迫ったムキがあった。トンデモナイことだ。今はまだ、それは罰則の対象にされている。それも言うなら、新たな法律をまず先につくるべきだ。つまり、時々の政権や、いわんや役人が、公益に反する行いをなした場合、その事実を記録せず、あるいは記録をしても抹消するなど隠蔽したら厳罰に処す法律を造るべきだ。それが公務員の、あるいは政権の「誇りの源泉」にすべきではないか。

 アメリカですら、それら情報を50年とかで開示することになっている。日本国憲法に基づけば、もっと主権者を勇気づけ、国家をいやが上でも愛したくなる諸法を制定できるはずだ。石橋湛山なら、そうした国家へと日本と日本人を導いていたに違いない。

 昨今の政権の動きは、これと180度異なる方向へと歪めようとしているように見える。

 それはともかく、巣鴨で岸信介はGHQといかに接したのか。岸信介は冷戦の顕在化という波に乗って、いかに泳いだのか。石橋湛山までたくみに活かし、いかに吉田茂をつぶしたのか。歴史はいずれすべてを明らかにすることだろう。このような連想をしながらこの一文を読み進んだ。

 

本』6月号

 

座標軸(『本』6月号)

最近の報道で明らかにした(漫画)