二度あることは三度ある

 

 先週は「書斎前の踏み石」作りが「うまくいった」とすこぶる満足。それは、山カンが見事に的中したとの自画自賛。チョットした相談事を持ちかけられ、それを好機到来のごとくに活かせたことが嬉しかったもので、実は、二度あることは三度あるの、最初になった。

 しかも、慧桃君が来合わせていたから、その感受性に何らかの良き影響も与えられたはず、と付録の喜びも伴っている。この日、慧桃君は大事そうに、。そしてその木切れを私に見せた後であちらこちらに持ち歩き、何かを独り言。自然に溶け込んでいた。

 私は、既製品のオモチャが好みではない。ハツカネズミが籠の中で車輪遊びをしているような気分医される。遊んでいるのではなくて遊ばれるかのように感じてしまう。完成品のオモチャではなくせめて積み木遊びなど、いわば道具で夢中になってほしい。だから、一片の木切れで夢中になる慧桃君に目を細くした。そして、踏み石作りに用いた工具一式を、一か所に集め、慧桃君に見せた

 「このオジイチャンは」この道具で、この「踏み石づくりを楽しんだんだ」と伝えたかった。実は、この踏み石は、部分的地盤沈下のいわば穴埋めであった。

 地下構造の建物にした関係で、土を埋め戻す部分が生じた。その土が、雨と月日で固まるにつれて沈下した。とりわけここ数年は、足元が次第におぼつかなくなったこともあって、いずれは躓くに違いない、と心配させられていた。いわば「沈下分を補正する架け橋」を掛けるようなミニ工事であった

 プロに頼めば、キット型枠を造り、生コンを流し込む作業になるだろう。その場合は、プロに狭くて2度も直角に折れ曲がる隙間のような通路を通ってもらい、足場が悪いところで作業に当たってもらわなくてはならない。なぜかそれは気が引けた。だから、「これぐらいの工事は、自分で片づけなくては」と考え、その好機到来を心秘かにしていたようなことになり、月日が過ぎていった。

 このたび、方丈を造ることになったが、その基礎作りの段になって生コン車がやって来た。そして門扉のところに駐車し、そこから大工さんが一輪車で生コンを工事現場まで運び始めた。その間に、生コン車の操作人は、大の男だったが、断続的に手持ち無沙汰になった。自ずと私は好奇心を刺激され、この仕事の苦労のしどころなどを知りたくなった。その終わりがけに、生コンが少し余りそうな様子となり、「どこかに捨てなければ」と相談された。余った生コンの処理が、この仕事の苦労の1つという。その瞬間だった。閃くものがあった。

 「5分、待てますか」の問いかけ、数分後には、3つの発泡スチロールの空箱を取り揃えていた。まさに、掻き集めた3つの箱だった。その人は実に丁寧に生コンを流し込んだ。その2つ目の時に「もう1つ」と彼は見通しを語り、さらに1つ、植木鉢の鉢受けを温室から取り出してきた。「なんと」その4つをピッタリと満たしたところで、生コンは空になった。

 この4つ目は、乾きあがるとすぐに温室の側にせっちすることで活かした。

 それから、3か月が過ぎた。それは、佛教大生の力を借りて運びたかったのだが、人数が揃わなかったからだ。実は4人の力持ちで運びたかった。途中で1人が足を滑らあせるなど、しくじっても、足の上に重くて固い物体を落とす、などの問題が生じなくて済むようにしたかった。

 幸い、先月は6人が参加となり、うち女性が6人だったが、私はむしろ力持ち4人よりありがたく思った。問題は、2度も直角に折れ曲がる狭い壁の間を、天稟棒にぶら下げて運んでもらわなければならないことだった。だから6人にも一度、空の天稟棒で予行演習してもらった。

 その後、この仮置きしてもらった不揃いの3つのコンクリートの塊を、横目で睨みながら過ごしたり、発泡スチロールの箱をつぶして取り除いたり、そのつぶした発泡スチロールを咬ませ、段差を埋めるように並べたりして、数日を過ごした。かくしてこのたび、願った通りに活かすことができた。これが二度ある事の最初の1つになったわけだ。

 二度目は、この最初の1つで用いた発泡スチロール箱の底部がキッカケになった。コンクリートから綺麗にはがれ、平たい板状の発泡スチロールが出来た。それも捨てずに置いてあった間に、ハクモクレンの実が次々と落ち始めた。だからそれを拾って溜める容器が必要となり、これも底に穴が開き、不要となったバケツを置いてあったので活かした。底に穴があった方が、雨が降った時は水が溜まらず、具合がよい。かといって、腐食して開いた穴だから、実の重みで底を抜かしかねない。その時だった、「そうだ」と閃いた。板状の発泡スチロール片で塞げばよい」この発泡スチロール片を丸く切っている時に、次のヒラメキがあった。

 この間に合って、2つの出来事があった。1つは妻に車を出してもらったこと。それは、アルミ製の細いパイプを買い求めるためであった。ブルーベリー畑に防鳥ネットを被せるフレームが未完成のままになっていた。その部品だったが、買い求められずに手ぶらで帰っている。もう1つの出来事は、木切れを持参した慧桃君の来訪だった。その木切れを彼は忘れて帰り、後刻電話でそうと知らされた。だから、私もその忘れ物を探し求めて庭を1度巡ってまわった。結局、見つけられなかったが、それが二度あることは三度あるに結び付けさせた。

 妻が後日、慧桃君の忘れ物を「見つけました」と内線で知らせてくれた。「なんと」慧桃君はトイレを使う時に、トイレの前にある飾り棚の上に置き忘れていた。そうと知って嬉しかった。「あのような子どもが、大事にしていたものを、置き忘れるなんて」と思うだけで私は嬉しかった。なぜか我が身を振り返り、安堵してニタリとした。その時だった。閃くものがあった。老いた脳が活性化したのだろうか、壊れた高枝切りのパイプは「丁度具合が良い太さではないか」とひらめいた。実は、その捨てずに置いてあった高枝切りに、慧桃君の忘れ物を探して回っ時に気付かされていた。

 かくして、防鳥ネットフレームは完成した。高枝切りの「握り部分」がうまい具合に2本のパイプをつなぐ部品として活かせた。二度あることは三度ある、と思うと同時に、レヴィ=ストロースが指摘した「第2の科学」も思い出した。東東洋人がしばしば演じてみせるこうしたヒラメキを、レヴィ=ストロースは立派な科学だと見たわけだが、私はそれは「遊」、つまり自由と創造の賜物と見た。
 

書斎前の踏み石

工具一式を、一か所に集め、慧桃君に見せた

 

「沈下分を補正する架け橋」を掛けるようなミニ工事であった

板状の発泡スチロール片で塞げばよい