ゴルバチョフの再認識

 

 コール元首相の死を知らされ、話題はゴルバチョフへと派生した。おかげで私は、ベルリンの壁崩壊についての認識を新にした。次に、これ以上に確かな話を知りうるまでは、この度知り得た認識をもって、私のベルリンの壁崩壊に関する理解度とすることにした。

 これまでは、時の勢いがなせるワザかのごとき認識だったが、それだけでなかった。事前にコールとゴルバチョフの合意事項があり、キチンとした政治的判断の下での賜物だった、という。と言うことは、わが国はこの好機を活かし切れず、北方4島を取り戻し損ねたことになる。

 壁をなくす条件として、ゴルバチョフ大統領はコール首相に2つの条件を付けた。NATOからの脱退と、ソ連が東独で実施した農地改革をホゴにしない、の2点だった。対してコールは、NATO加盟国を増やさないという妥協案をゴルバチョフに飲ませた。だが、壁をなくした後、この妥協案さえコールは守らず、西側は破り、東欧諸国を次々とNATOに組み込んでゆく。

 この駆け引きは、ゴルバチョフの足を引っ張り、追い落とすことに結び付いたが、世界は大きな損失を被ったことになるのではないか。ゴルバチョフは、国連総会では「環境問題は人類共通の敵」との認識を示した人だ。それが冷戦終結のキッカケと見て良いだろう。また、ドイツ連邦議会に招かれた時は「欧州共通の家を造ろうではないか」と呼びかけた人でもある。

 西側がこのルバチョフの足を引っ張るのではなく、その立場の補強に勤めていたら、世界のありようは今とは大きく異なっていたに違いない。そのゴルバチョフとわが国tの折衝に当たる立場を保ち続けていたら、どうなっていたか。

 日本はなぜ、この好機を活かさなかったのか。せめて経済政策だけででもゴルバチョフの立場を補強する策をこうじて、採用しておればどうなっていたか。現実は、ゴルバチョフだけでなくロシア人の心も冷やしてしまうことになった。西側諸国にも日本はその程度の国との認識をさせてしまった恐れがある。プーチンもロシア人だ。