5年の歳月

 

 この10坪ほどの苔庭造りに、佛教大学が3度に分けて、延べ6人が関わり、その後待つこと5年にして、この日を迎えた。あと2〜3年で苔が生えそろい、もっと見事になるだろう。

 一般的な作庭なら、2〜3人の庭師が1日で取り組み、その日のうちに仕立て上げ、遅くとも翌年の梅雨時には、これよりもっと苔が茂った光景を生じさせる。だが、アイトワ流はちょっと違う。

 なにせ、懐にゆとりがないのに、それなりの庭園を夢見た。ならば、と思いついたことがある。そのアイトワ流は、まるで恋を育てるかのごとくに、数年がかりで、時には半世紀がかりで取り組み、成就の日を迎える戦法だ。それは、普通のサラリーマンの道を選んだ私が、私なりに編み出したやり方だ。所得倍増論を打ち出したときの首相は「貧乏人は麦を喰え」との至言もはいた。反発する人が多かったが、私は「なるほど」と思った。その昔なら、麦も喰えず、生涯粟(アワ)や稗(ヒエ)で過ごしていたところだ。ありがたい時代に生まれ合わせたものだ、と思った。

 この10坪ほどの空間は、元は(50数年前は、農地が放棄され)ススキが原だった。妻が嫁いできた40年前には、それなりの形をなしていたが、この一角は今とは違った。10本ばかりのツツジの植え込みが、2つのグループをなして育ちつつあった。その後、数年かけて、大きな2つの円卓状の植え込みになり、それ相当の日陰を造った。いわば、それ相当部分に生える野草の除草にかける手間を省くために、10数年がかりで育てた植え込みだった。

 この作戦は、数本のツツジの苗木を50年ほど前に手に入れたことから始まる。その後、毎年の剪定のたびに、切り取った大きな枝を選び、挿し木を始めた。苗木を増やすためだ。もちろん、その活動は今も続けており、昨年はエゾヤマツツジの苗木(要望の声があったので)作りに取り組んでいる。

 過日、その徒長枝を切り取ったが、大きな数本の枝は燃やさずに残し、水鉢に生けてある。いずれは(梅雨の間に時間を見つけ)挿し木にしたい。これは昨年から始めたことだが、この挿し木は歩留まりが悪くて、5分の1ほどしか発根しなかった。しかし今では10本近くが個別のポットに移し替えられている異なる樹種の挿し木が、別途温室で進んでいる。

 2年前に、妻は友人から「コメツツジ」の一枝をもらって来た。その一枝から10数本の小枝を切り取り、挿し木にした。だが、この木は歩留まりがとても悪く(その後の管理も悪かったのだろうが)今では1本だけ残り、何とか育ちそうになっている。

 過日、この苗木を見て、妻は歓声を上げ、感謝してくれた。それなりの植え込みにまで育てるには、これから10年近くを要しそうだが、その過程を妻もむしろ喜ぶ。瞼には既に、20年ほど後の花をつけた姿を、友人の庭で観た姿を浮かべでいるに違いない。

 サラの落花を楽しむ苔庭の話題に戻る。

 2つのグループをなして育つツツジが、円卓状の2つの植え込みとしてほぼ仕上がりかけた頃に、その周りに3本の苗木を植えた。ハクモクレン、メモクレン、そしてサラのいずれも苗木だ。

 ツツジの植え込みは、除草の手間を省く日陰つくりが役目だったが、この3本の苗木には、座敷の縁側に注ぐ夏場の光を遮らせる役目を期待した。いわば完全自動(ボタン操作も不要の)簾(スダレ)の役目だ。ハクモクレンには南の光を、西日はヒメモクレンに、南からの木漏れ日はサラに、とそれぞれの役目を与え、植えつけた。その成長が進み、簾の役目を果たし始めるにしたがって、下の円卓状のツツジの植え込みも日陰にし始めた。そこで、ある日、2人の佛教大生に切り取ってもらった。

 翌月には、2人の佛教大生にその根を掘り出してもらい、別の2人の佛教大生がその跡に赤土を運び込んだ。その後は、苔が自然に芽吹き、はびこることを期待し、妻が主に管理(地ならしや除草)に当たることになった。かくして今日に至った。

 この一角は、年を追うごとに苔が広がり、深くなり、見事さを増すだろう。

 やがて年老いて、腰を曲げ、座敷の縁側からサラの落花を眺める妻の姿が眺められるはずだ。だが、その姿は定まっていない。すでに縁側には、寝椅子を母屋から移動してあるが、妻はその寝椅子にかけるのか否か、分からない。

 この寝椅子は、妻が40年近く前に父の誕生日に贈ったもので、生前の父は毎日午後の一時をこの寝椅子で過ごしていた。だが、父亡きあとも、母がこの寝椅子でくつろぐ姿を知らない。

 こうした気持ちになる私にさせたのは、源ちゃんの一言だったが、源ちゃんは、まるで敗戦前の生き方を引き継ぎ、反発することなくこの世から消えた。その過程を眺めながら、どうしようもない私は、与えられる余暇時間と給与の範囲で大きな夢をかなえようと足掻いている。

 その足掻きがいわば学習となり、「その気にさえなれば、誰しもが手に入れられそうな人生を」目指した。やがてはその生き方に、間違いなく、ある種の自信を授けられるようになった。

 「これを見たかったの」との妻の歓声から始まった一週間だが、半世紀を振り返り、近き未来にまで夢を生えることができた。
 

エゾヤマツツジ

水鉢に生けてある

個別のポットに移し替えられている

異なる樹種の挿し木

コメツツジ

サラ

寝椅子を母屋から移動してある