短大時代の経験
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私も、まんざらではなかったのだ、と思った。いわゆる「見える化」に努めたことだ。眼には見えないモノを見えるようにしたかったし、目に見えるものは当然隠さずに、見えるようにしたかった。それがヨカッタのだと思う。学生が生き生きとするようになった。 学校は学生のモノ。学校の収入は学生や父兄のお金として扱う。だから、初年度は父兄にも学校の懐具合が悪くなったことをさらけ出し、改善策を相談した。たとえば、教師の所得は上げない、教育経費は下げたくない、だから、外注している掃除を内部化し、教師と学生で当たりたい。いずれ学生は家庭も守らなくてはならい。もちろん、学長車は廃止。秘書もなくし。交際費も使わなかったなど。 未来の見える化にも努め、環境問題に真正面から取り組んだ。皆で「未来が微笑みかけてくるような生き方」を「自力本願」で目指そう、とも提案した。そのために、大きな巨人ではなく、身の程をわきまえ、「小さな巨人」を目指し「一隅を照らす」ひとになろう、と呼びかけた。 だから教員には「専門を通して、人間を教えてほしい」とお願いした。どのような親であれ、子どもにとって親は親だ。親が子どもに丸裸をさらすように「専門を通して、人間を教えてほしい」と願った。こんな大人にはなりたくない、も立派な教育だ、とさえ言った。己の持てる技や術などの伝授も大切だが、それよりも、学生の持てる潜在能力を発露させる布がもっと大切ではないか、と訴えた。少子高齢化傾向がすでに叫ばれていたおかげで、理解を得るのは早かった。学生は、出身高校に帰って「この学校は良い」と語り出し、定員割れの学校を、3年で全学科定員オーバーにした。 そのありようは、『自活のススメ』シリーズで、10回ほどにわたって触れた。いわゆるそれが民主化だと見てもらえたのだろう、と思う。その伝で行けば、現政権は、その反対方向マッシグラだ。過去の都知事も石原など反面教師が続いた。それを都民は見抜き、都民ファーストを選んだのだと思った。 |
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