メディアのあるべき姿
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このところ、政権の広報誌、と揶揄される新聞のありようを確かめたくなり、この目で比較し始めた。一人のボスの睨みが恐ろしくて、組織全体が「縮み上がり合い競争のようなことを始める人間の性」を、垣間見たくなった次第だ。山本七平は、わが国の「和」は「外に向かっては不和」と喝破したが、メディアがそうなってはいけないはずだ。メディアの第一の役目は「権力の監視」であり、それが全体の幸せの源泉であるように運営しなければいけない、と思う。2度とA級戦犯を生み出すような国にしてはいけない、と願うからだ。 実は、先週の3泊4日の出張時には『週刊金曜日』の臨時増刊号を持参した。週刊誌にはあまり手を出さないが、偶然見にとまった1冊だ。たまたま写真の焼き付け店があるスーパーには本屋もあり、待ち時間に見かけ、手に取った。事実だけを報道する雑誌を標榜していので、つい手が出てしまった。 読み進み、驚いた。さらに、発行費が5月30日と、購入の1カ月前であったことを知り、さらに驚いた。首相や首相夫人がなしたことを断定的に「先刻承知」とばかりの記事で埋まっていた。 その目で見ると、読売の社員は気の毒だと思った。生き生きとした使命感には燃えていないのではないか。もし燃えているとすれば、共産党の「赤旗」や、公明党にとっての「聖教新聞」の記者のごとき燃え方ではないだろうか。「赤旗」や「聖教新聞」は旗色を明らかにしているから、それはそれでよい、と思う。だが、一般紙を装っているだけに「キショクが悪い」と思った。 「そうだ、入院に持って行こう」と思った。暇つぶしに活かそう。 |
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