モリアオガエルのドジな産卵については、予定外の来客のお一人に、持ち出した。2日後のことであった。来客も「なぜ、こんなところ(下に水溜まりがないところ)に生んだのでしょうか」と不思議がられた。そこで、私の経験談を持ち出した。何年か前に同じ疑問を、福島のいわきを訪れたある時に、私も感じたことがあったからだ。
宙八さんに案内され、「お坊さん」と呼ばれていた人を、たしか2度目に訪ねた時のことだった。多くの人が立ち去った地域で、一人居残っていた。その、小さな家を訪れる道中でのことだ。
モリアオガエルの卵塊が沢山ぶら下がったところがあった。その下には、セメントを練る大きなプラスチック製の船のようなものがあり、水が溜まっていた。だが、幾つかの卵塊は、その船から外れており、お坊さんが紐で引っ張って、船の中に落ちるようにしていた。
この一件を思い出し、「きっと、モリアオガエルは、この(ヒシを育てている)大きなバケツを当てにして(木に登り、卵を)生むことにしたのでしょう」。ところが、「キンカンの木に登ってみると、こんどは最も望ましい(枝ぶりの)生み場所を探したくなってしまったに違いありません」と、つないだ。この時に、妻は間髪を入れず、横から「まるで、私みたいね」と、口を挟んだ。
モグラの被害が、このところすっかりなくなっていた。イモリとケラの減少に始まり、マムシ、トノサマガエル、青大将と続き、モグラも(減少)と、なっていた。
それだけに「嬉しかった」し、発見が水死体であっただけに「辛かった」。この思いを共有したくて、妻にも見せた。遺体の状態から見て、水死は私の留守中の出来事と見て取った。案の定、妻は私以上に悲しそうだった。なぜ「もがいている間に気づけなかったのか」と辛そうだった。
「子どものモグラだから、きっと親もいるし、兄弟もいるはずだ」と慰めた。
マムシについても、居なくなって寂しがること久しいのだが、これまでに2度も、見つけて捕獲している。遠方に捨てに行った分が戻ってきたわけではなく、別の個体だ。後の分は赤アムシだった。
ヘビ嫌いの妻は、マムシの発見時とは違い、「モグラって、なんて可愛いんでしょう」と落ち着いた声でつぶやき、目を細めた。と同時に、「どうして」地上に現れ、水槽にはまったのか、そして、強そうな手を持ちながら、水があふれる水槽のふちに手をかけ、乗り越えられなかったのか」と(次々とつぶやき)クヤシがっていた。私は一切発言しなかった。
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