プロパガンダ紙と一般紙の使命
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メディアには、国民が意志薄弱者にならない、あるいは意志薄弱者を装わなくてもよいように努力してほしい。アンケートに応えるように求められて「どちらとも言えない」との選択肢を選びかねない読者にしてほしくない。私も「どちらとも言えない」を選ぶことがある。それは「私には判断する能力がない」という意味で選んでいる、その言い訳をするなら、その原因は判断材料に欠けている場合が多く、これはメディアにも責任があるはずだ。 メディアには「立場」を明らかにしてもらいたい。国民は、さまざまな考え方があることを学び、判断を下すべきだ。その一助として、「聖教新聞」や「赤旗」は、立派な存在意義がある、と思う。判断材料の1つとして読み比べる上での価値があるプロパガンダ紙として位置づけ、尊重したい。つまり、このような新聞を私はいわゆる「メディア」とは見ていない。 問題は一般紙だ。中立を装うこと自体に無理を見出す私は、一般紙であれ「立場」を明らかにすべきだ、と思う。メディアとしての役目、まず権力の監視に努め、事実を明らかにする。そのうえで「紙」としての判断を下してほしい。社説などで意見を明らかにしてほしい。出来るだけ書名入りの記事を増やし、意見も戦わせてほしい。さもなければ、アンケートで意見を求められても「どちらとも言えない」との、実に情けない選択肢を選ばざるを得ない心境にされてしまう。 このような気持ちで、いわゆるわが国の「2大メディア」を読み比べて見ることにした。良きタイミング、と見たからだ。そしてビックリした。 前川文科省前次官のスキャンダルと政権は見て、政権の権力(国民から与えられた権限や税金)で調べ上げ、「2大メディア」の1つを選んでリークし、載せさせた。そのニュースの価値が、国民から与えられた権限や税金を投じるに値するのか否かが問われている。逆に、前川文科省前次官が、職を辞してから明らかにしたニュースは、公共の益に供する内容だった。だが首相は、この行為を国民から与えられた権限や税金を活かして、守秘義務違反として罰することができないかどうか、知恵を絞っている。こうした時期に「2大メディア」を読み比べる価値が大いにあり、と見たわけだ。 ときあたかも、北朝鮮がICBMとおぼしきミサイルを打ち上げた。これも読み比べる上でグッドタイミング、と見た。短絡にいえば、このICBM事件に割いた両紙のスペース、載せたペイジ数、あるいは取り上げ方などの差を検証してみてはどうか、との気分にされた。 その差は一見して分かるほど明らかな違いがあった。例えば翌日の1頁、朝日のトップ記事は「福岡・大分特別刑法」の記事でありICBMの記事はなかった。読売は「米、北ICBMに危機感」をトップ記事に選日、6段記事に組んでいた。 それはまだしも、省庁人事がかまびすしい時期だが、その扱いの差も際立っていた。読売は「省庁人事 官邸織濃く 文科次官ら留任 報復 批判 回避か」と切り出したが、肝心の財務省理財局長の人事は大きく報道されておらず、私の目には留まらなかった。朝日新聞は、国税庁長官として栄転したことを詳しく取り上げただけでなく、別途社説で「政権の体質の象徴」として「社」の意見も添えていた。この人は、森友学園や加計学園の事件を(解明する上で、カギを握る立場にありながら)うやむやにさせた張本人ともいえる人だ。また、国税庁と言えば、この庁に逆らい睨まれたら、企業などひとたまりもない存在だ。公正中立が一際求められるだけに、大きく取りあげないことがオカシイ。 ことほどさように勉強になったが、心配だ。なにせこの政権のありようは、副総理の『ナチスのやり口に学んではどうかね』の一言から始まったような結果に結び付いただけにキショクが悪い。 ナチスのやり方は、その国家元帥であったゲーリングの次の一言がその体質を象徴している、と言ってよいだろう。恐ろしいとも思った。「人々は指導者の意のままになる。『我々は攻撃されかかっている』といい、平和主義者を『愛国心にかけ、国を危機にさらしている』と非難すれば、それだけでよい」と喝破した。身の危険を感じると、人々は簡単に自由や人権を放棄し、安全を求めるという。 それだけに、このたびのICBMに興味を持った。そもそも、日と米の現在の長はこのやり口で求心力を、と願っているフシがある、だから、手を携えて北を刺激しているように見える。何かから目を去らせたいと願ってもいるフシもある。北のドンにすればモッケの幸いだろう。大花火のごとき実験をしてみせると、日米にはすぐに反応し、大騒ぎのネタを活かす人がいるのだから。それが北のドンに求心力を提供することになる。 そうしたやり口は慢心を誘いがちだが、ついに選挙応援でウッカリと本音を、自衛隊を私兵のごとく生かせる私だゾ、と言わんばかりの胸の内を誇示して見せる人まで出した。 |
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