その訳が分かった

 

 「ウソついたら、針千本飲ます」とその昔、幼友達とよく指切りをした。母に「ウソは泥棒の始まり」とよく叱られた。このたびの国会中継を見ていて、フト思い出した。キット、先週知ったフランスのエピソードと次元があまりにも異なっていたかろう。

 これほど酷い国会答弁は、これまでに、つまり現政権になるまでにあったのだろうか。これまでは、1枚のペイパーが証拠となり、首が飛んだり、解散になったりしていたように思う。この度は、「怪文書」と跳ね付け、そうではなかったと分かれば、記憶するところではないと言ってうそぶく。それも何人もの面々が、シナリオに従って口裏を合わせていることが丸見えのウソを抜け抜けとつく。

 「記憶によれば、言っていません」。「改めて質問しますが、言っていないのですね」。「記憶によれば、言っていません」。これを7度も繰り返した。さらに「記憶は全く残っていない。従って言っていない」との迷文句までひねり出す御仁まで現れた。

 私の目にはこれらの御仁の1人を除き、いずれもが「確信犯」のごとくに映ったのが、つまり、母親を怖れて子がウソをつくようなウソではないと映ったことが、せめてもの救いだった。

 きっと7度も同じ言葉を繰り返した人は、誰かに愚痴るに違いない。なぜなら「李下で冠をたださず」を例に引いた上で、始まった白々しいウソを、右に倣えして演じた芝居だから、私の耳にも「一犬虚に吠えば、万犬実に吠える」のごとくに聞えたからだ。

 これが、道徳を義務教育の正科にした政権一味の仕業だけに空恐ろしくなった。まさに共謀の典型例ではないか。

 そうした権力は逆に、その不正を見抜く人が共謀することを怖れ、戦中のごとくに未然に口を封じたくなるのだろう。やりきれない気分にされたが、川柳「一点の曇りも無いのに非公開」に癒してもらうことで少しは収まった。

 先週、フランスでは、マクロン大統領が、第二次大戦中のフランスで13,000人のユダヤ人が虐殺されたが、それは仏に責任があったことを追認し、謝罪した。その慰霊祭典にはメタニヤフイスラエル首相と揃って出席したことをNHK-TVが報道。

 かつてシラク大統領がその責任を認めていたが、このたびの大統領選中にペロン候補が仏には責任がない、と主張して大統領候補になっていた。これを正したものだ。

 日本では今、原発の是非や核廃絶の是非を争点にした総選挙が求められている。そして、情報公開を進め、南京問題事件や慰安婦問題の是非も国民に問うて審判を仰げる国になることを世界は求めている。このままでは、マッカーサーが喝破した精神年齢13歳の国民との意見を野放しにしたままにしかねない。