時の流れや人生を反省

 

 この来客とは、腹蔵なく思うところを語り合う。「先入観の少ない人」と勝手に甘えているわけで、気が付いてみると、思うところを語ってしまっている。気の毒なことだ。

 こうした話し相手を40年ほど前に、せめて30年ほど前に得ていたかったなァ、と思う。ならば、人生が変わっていたはずだ。でも、それが良かったのか否か、それは分からない。

 40年ほど前に得ていたら、商社を辞めていなかったかもしれない。辞めた頃は、オイルショックを世間は、すぐに「咽元過ぎれば」にした頃のことだ。私は生き方を、工業文明(第3時代)の崩壊を前提にして切り替え、第4時代到来論を打ち出し、その未来を目指し始めている。

 30年ほど前と言えば、想うところを書き留めたくなり、俸給生活をあきらめた頃だ。バブルの兆しが現れていたが、それが私に「ポスト消費社会」への備えを迫った。その想いを、文字に留めるとともに、形にもと願い、アイトワの名称、そのシンボルマーク、あるいはその器づくりに手を付けた。

 何を考えていたのかを、検証できるようにしておくことが、その正否はいずれであれ、余生を豊かにする、と思われた。さもなければ、自分が自分で分かりずらくなるようで、不安だった。

 こんな調子だから、多くの人に迷惑をかけた、とも振り返った。

 結婚してやっと「一人前」と認められていた時代の、最後の世代であったからかもしれない。一人前に見合いをして、結婚しながら、3年で離婚を決し、それから3年後に分かれた。それだけで社会人として失格、と思われていた時代だ。

 長男は3世代家族が当たり前の時代だった。親孝行を期待されて誕生し、この世代が最初に核家族時代を切り拓き、死ぬことになりそうだ、と思っていた。

 多くの人は間の欲望を解放する文明を当たり前と見ていたが、私はその崩壊に備えたかった。文明はは人間の解放を阻害する、と私は見てしまい、心配だった。

 アタマでは理解できても、カラダが受け付けないことがある。逆に、カラダでは当たり前のこととして受け入れながら、アタマでは気付いていないこともある。幸いなことに、カラダが受け付けなくとも、アタマで理解ができることは容認すべき、と自分に言い聞かせる人と巡り合っていた。

 離婚の理由が、人生観の相違であり、もめていたら離婚理由にはされず、トンデモナイ人、無責任者にさえなっていただろう。感謝をして、しきれない人にめぐりあっていたわけだ。

 終身雇用が当たり前の時代でもあった。名刺が看板になる時代だった。バーに出かけても、ツケにされた。この会社に勤めているヒトなら「もう一度、訪ねてくれるでしょう」と言われた。その支払いを最後にして、私はバーなどツケが効くところには行かなくなった。そして、その会社も辞めた。

 それだけで、社会人として失格かのように母は悲しんだ。再婚していた妻は、「本当に明日は、早起きしなくても良いのですね」とだけ確かめた。看板の値打ちを知らなかったのかもしれない。あるいは看板など、時代遅れになる、と気付いていたのかもしれない。感謝をして、しきれない人だ。

 その後すぐに私は現実を思い知らされる。飛ぶ鳥を落とすような勢いの中堅の会社に拾ってもらい、それなりの席を与えられた。だが、銀行には相手にされなかった。それまではローンを組めとヒツコかった銀行が、遠距離通勤に備える前線基地が必要だと訴えたが、住宅ローンを組むにたる入社年数を満たしていない、と冷たかった。おかげでローンをあてにしない人生になった。

 なぜか、こんなことまで思い出し、反省しながら、現状と対策を語り合った。時代は変わった、と思った。だが日本は、またババを引きかねない状況に逆行しつつある、と思う。かつて、植民地時代の「最後の帝国」を夢見た国になってしまい、歴史的な失策を犯し、多くの人を殺しておきながら、似た失敗を再現し始めている。かつて軍国主義に反する人を非国民と揶揄し、平和論を危険思想と決めつけ、嬲り殺したように、似た法律をこのたび再現させた。でもまだ時間は残されている、と見る。

 この前、2大紙を読み比べ直し始めたが、すぐに一紙に絞り直した。その絞り直した方が、このたびメディアとして最も望ましき受賞に輝いた。それが、時間のゆとりがまだ残っているように思わせたのだ。日本ジャーナリスト会議の大賞を受賞したことだが、メディアのメディアたるゆえんである「権力の監視力」が表彰されたわけだ。まだ、ジャーナリスト界は汚染され切っていない。政権は共謀罪を改正し、この口を封じをするわけにはゆかないだろう。時間のゆとりがまだ残っている。

 でも、安心はできない、と思う。

 なにせ私たちは、己をだます人生を好むところがある。あってほしくないことは、なかったことにしたくなるクセがある。何事も、真実を解明しないと気が済まない人や国があるが、日本は逆だ。あってほしくないと願うことは、なかったとウソぶく意見を探し求め、胸をなでおろしたくなる。それが、かつては特高まで作らせ、とことんまで負け戦を認めたくなかったのだ。そして、負けを認めて受け入れていながら、その責任者やその末裔に膨大な税金を受給させ続けているのだから。

 その性向の説明は文字にしがたい。一枚の漫画の方が雄弁に思われた。だがこの正否は、次週にでもアンケート結果が示すだろう。それがわが民度だろう。興味津々。