自然の驚異に脱帽

 

 「どうして」と、自然に触れている時に驚かされることがまま生じるものだ。この6日の日曜日に生じたザリガニでの偶然の一致もその1つだ。

 このたびのザリガニをもらうまでは、長年にわたって庭では見たことがなかった。その昔はウヨウヨいたのに、その後30年来見ていなかった。にもかかわらず、このたびはもらった翌日に、立派な1匹を畑で見つけており、驚かされた。その後は、まだ見ていない。これを偶然の一致と見てよいのかどうか、不思議だ。

 マムシでもそうだった。その昔は毎年のごとくに庭で見つけたし、捕まえもした。だがその後はトンと見なくなった。その時期は、山側の裏手の湿地が宅地化されてからのことだ。その後、「そういえば」とマムシに咬まれたときのことを思い出し、妻と話題にしたことがあった。その翌朝にマムシを見つけており、捕まえて、遠方に逃がしに行った。これを偶然の一致と見てよいのかどうかと迷ったが、とても強烈な印象が残る出来事だった。

 同じようなことが、過日再現した。なぜか妻とマムシを話題にしたが、その翌朝のことだ。旧玄関先で見かけた。これは当週記に収録した。これも偶然の一致と見るかどうかで迷ったものだ。この2度の他に(この2度の間と、その後)は、庭ではマムシを一度も見ていない。

 偶然にしてはよく出来過ぎたことが、この度のザリガニの例で3度目になったことになる。もちろん他にも似た体験をよくしている。たとえば、「明日、切り取ろう」と妻と夕刻に決めたドウダンツツジが、つまり枯れたと諦めた木が、翌朝には一斉に芽吹いていた。こうしたことの多くは妻との共感に収めており、あまり他言はしていない。

 ヒトサマを半信半疑の気分にするのも残念だし、自然に触れることが無上の喜びだと思っていない人に、躍起になって説明するも気が引ける。

 私には、妻も同様のようだが、秘かに感じ取っていることがある。それは以心伝心のようなことが生じていたに違いない、と思っていることだ。

 このたび、初めてオタマジャクシを屋内で育てたが、オカゲで幾つかのことに気付かされた。もちろん、分からずじまいのこともある。それは「なんのために屋内で飼ったのか」と笑われかねないテーマのことだ。同じ時期に産み付けられた2つの卵塊なのに、その2つから生じたオタマジャクシの大きさが随分異なっていた。その理由を解明したくて身近で飼い始めたわけだが、それは多分母体の差異が生じさせた問題だろう、との憶測で終っている。

 その後、屋内で飼った分では大小の見分けがつきにくくなった。と同時に、屋内で飼った方が早く足や手を出し、巣立ったことも観察できた。屋外に残した方は、見た限りの話だが、まだ手足を出しておらず、それほど大きくは育っていない。小さい方は小さいまま、と思われるほどだ。それは、栄養の問題だろう、と思う。分け隔てなく餌やりをしてきたつもりだが、屋外に残したオタマジャクシの数が圧倒的の多かったに違いない。分け前が少なくて、成長が進まず、手足が出るのも遅れているに違いない。

 それはともかく、オタマジャクシが角張った顔相になり、間もなく足が出て、手が出て、尾が短くなり、上陸した。その過程で、妻は自然の驚異のごとき現象に触れ得たことをとても喜び、その機会を用意した私に感謝するようになった。このたびはささやかとはいえ、自然にはかなわない、と思わせられた。

 ザリガニの場合も同様だった。当初は、飼うことに疑問を挟んだ妻だが、今ではすっかり餌の準備係に治まっている。それは、ほんの小さな切り身だが、餌にマグロなどを与えると、ザリガニは反射的に飛びつく。その姿を見てから妻はファンになった。かつての弁慶を飼った時のことを思い出したのだろう。

 それは小さな亀の子を飼った時のことだ。ヒヨドリにも餌食にされそうな子亀を保護したが、首を引っ込めがちであった亀が、やがてマグロの小さな切り身を近づけると首を伸ばし、かぶり付くようになった。その時から妻はファンになり、育児係になった。その後、妻は「運動のために」といって外に出してやり始めたが、首を引っ込めたまま簡単には動こうとしなかった。そこで妻は「内弁慶ネ」とからかい、弁慶と命名した。

 このたびは、オタマジャクシが足や手を出し、尾を短くするようになってから、水槽の水が生臭くなったことに気づかされた。尾の一部が捨て去られ、それが匂いを発するのだろうか。この初めて知り得た事実を、妻もとても喜んだ。

 その折に、それ以上に嬉しくなることが生じたわけだ。小型であったが、シマヘビが一匹内庭に近づき、オタマジャクシがカエルとなってうろつきそうな領域に侵入したことだ。オタマジャクシがカエルに変身し始めていただけに、これは偶然の一致ではなく、ヘビが持ち合わせている霊感のごとき感覚がなせる業だろう、と感じさせられた。

 もとより、このたびオタマジャクシに強い関心を持ったのは、この庭でカエルを往年のように増やし、ヘビを増やしたい、と思ったからだ。ヘビが大嫌いだった妻も、食物連鎖のありようを目の当たりにするようになってからヘビを忌み嫌わなくなり、その顔を識別できるようになった。新たな自然の驚異に気付かされるたびに、妻は態度を改め、そのありように私は脱帽の気分にさせられてきた。