さんざんな目

 

 

 実は、雨が降り出すとは思っていなかったので、危ないことをしていた。20袋も一度に買い求めた舗装材の、その後の扱い方だ。親方はさすがで、キチンと防水シートで覆ってくださった。だが私は、15袋をまず囲炉裏場に運び、その5袋分をふるいにかけ、粗い小石を取り除き、上塗り用として一輪車に溜めた

 その粗い小石を、囲炉裏場の未舗装の部分にまき、その上に5袋分の舗装材を敷きつめて慣らし、水をまいて、囲炉裏場の舗装の粗塗りを仕上げた

 そして残った5袋分は囲炉裏場に積み上げ、カバーをぞんざいに被せただけで一夜を過ごさせた。しかも、親方と積み上げたところに残した5袋分も、カバーを元のようにキチンとはたださず、一夜を過ごさせてしまった。

 翌朝、目覚めた時に、夜分の間に雨が降ったような形跡を見たし、今にも降り出しそうな雲行きにハラハラさせられた。だから、私は雨に打たれる覚悟をして庭に飛び出し、まずふるいを掛けた分が入った一輪車の覆いをめくり、点検した。なんとかこの5袋分は、ヤレヤレの状態と見た。次いで、親方と積み上げたところに走った。ぞんざいなカバーをめくり、火事場の馬鹿力よろしく、残していた5袋をユーティリティーに避難させた。その上で、囲炉裏場に取って返し、目隠し程度のカバーを被せてあった5袋を点検すると、一番下になっていたい1袋分の硬化が始まっていた。

 「今ならまだ間に合う」と考えた。小雨の下でその1袋から開封し、舗装を分厚くしたい部分にまき広げ、硬化し始めた分を砕きながら、敷き詰め始めた。この作業を繰り広げている過程で、雨がとても強くなったが、カッパに身を固めた妻が、傘をかざして出て来で「大丈夫ですか」と尋ねた。

 「家に戻りなさい」と言ったが、「何かお手伝いすることがありませんか」と問いただす。「何もないから、部屋に戻っていなさい」と語気を強めたが、ウロウロしている。雨がさらに強くなり、せっかく敷き詰めた舗装材が強い雨脚でグチャグチャにされ始めた。私としては硬化させかねない残る4袋を一刻も早く敷き詰めたい。その手伝いぐらいは出来そうだと思ってか、妻はウロウロしている。

 もちろん、その手伝いを頼み、2人共にずぶぬれになり、「ありがとう」と言えば、妻は喜んでいたに違いない。それぐらいのことは私にも分かる。だが、私にはそのような芸当は出来ない。その気持ちが未だにわからないのか、妻はウロウロしており、行く手を阻むがごときことにもなり、邪険に扱わざるを得なかった。

 折あしく当週は「なぜ日本は焼き尽くされたのか〜米空軍幹部が語った“真相”」というBS1スペシャルを見ていた。その番組で、当時の日本の軍部のやり口に許しがたい行いを見出しており、イライラさせられていたことも関係していたと思う。

 それは、戦時中の日本が、国民を竹やりで武装させるなどしてことごとく戦闘員のごとくに巻き込み、敵愾心をむき出しにさせていたことだ。だからアメリカから見れば、日本には一般人はおらず、戦闘員だけの国に見えていた。

 それはともかく、2人してズブ濡れになる必要はないだろう。もとより1人でことを済ませる手はずの下に動き始めている。火事場の馬鹿力で、舗装材の袋を片手でぶらさげ、屋根の下まで運んでもいた。だから、「行く手を邪魔するな。あっちに行っておれ」と命令口調になった。それで済ませておけばよかったのだが、済ませなかった。

 一仕事終えた後、ずぶ濡れの衣服を玄関先で脱ぎ捨て、素っ裸で風呂場に急いだ。幸い、玄関に雑巾があったが、それには触れず、「何をボケていたンだ。着替えは出してあるのか」などと、ズブ濡れの人を受け入れる準備は充分であったか、となじってしまった。それがいつおのごとく後学のためだ、と考えていた。

 さあ、大変なことになった。分かり切ったことを妻は言い並べ始めた。「言いたいことは全部解っている。朝飯を急げ」と切り返したが、これにもカチンと来たようだ。

 でも、それでヨカッタと思う。新婚当初に、何があろうとも一緒にいる限りは、先に交わした約束は守ろう、と決めあっていたし、私はそれを守って来た。おかげでこの日も、買い物に出かける時間が来た時に、妻は「どこから先に行きますか」と聞いてきた。おかげでキチンと2人で出かけ、買い物なども予定通りに済ませられた。

 だが、それでは済まなかった。グチグチとその後、「あそこまでボロクソに言わなくってもよいでしょう」とか、「常日頃言っていることとしているとことが違っています」と、雨天対策をしていなかった私の失策をほじくり返しはじめた。

 そこで、「そうだ」と思いつくことがあった。自己主張の押し問答では勝ち目はない。だから、「いっそのこと寝ぼけて、今まで眠ってくれていたらよかったンだ」と言った。そして、「ならば、私はどう反応していただろうか」と、謎を掛けた。妻は黙っていた。

 そこで、「キット、よく眠れてヨカッタ、と言っていたと思うよ」とつないだ。

 これが途止めとなり、一件落着かと思いきや、実は、その後が大変だった。妻はその後、蒸し返さなかったが、私のカラダが変調を訴え始め、「ヤバイ!」と感じ始めた。

 加えて、「雨が翌朝まで降り続いたらどうしよう」との心配も始まった。三田に出かける予定があったからだ。かねてから大雨の時期は出掛けないことにしていた。わが家では2度も部分的床上浸水を体験している。だからだんだん心配になった。小雨と見ると飛び出し、塗装を仕上げてあったカモフラージュ用鳥箱と3つの木切れのオブジェを所定の位置に据えに出た。空模様を直に睨んでみたかったからだ。

 快晴の朝を迎えた時に、なんと嬉しかったことか。思わずお天道さまに感謝した。だが、その後が大変だった。三田にたどりついたころにはスッカリ体が憔悴し、チョッと不安になった。だが、強行してヨカッタ、と思う。動悸や不整脈になやまされなあら、妻は「これを心配してくれていたンだ」と気付くことができた。

 温泉の受付で、若い女性に65歳以下と疑われたのもヨカッタ。

 帰宅すると、妻の機嫌も直っていたようだし、多分私もこれで少しは賢くなるだろう。

 


上塗り用として一輪車に溜めた

囲炉裏場の舗装の粗塗りを仕上げた

カモフラージュ用鳥箱