アイトワの1つのシンボル

 

 もちろん、3本の木をあしらった紋章が、正式なシンボルマークだ。だが、赤と白と緑にこのたび塗り分けた3つの木の塊も、同じぐらい気に入ったアイトワのシンボル、と言ってよい。

 赤は太陽を、緑は植物を示しており、いわば文明のシンボルでもある。緑(葉緑素)が赤(太陽光線)を(炭素化合物として)固定化し、それをむさぼり、人間の欲望を解放したシステムを私は文明と睨んでいるが、この睨み私の今につなげる気づきであった。

 農業文明は、緑が数十年ないしは数千年かけて固定化した木材資源を使い果たし、崩壊した。この文明は王侯貴族や神官を生み出す時代へと人々を移行させており、王侯貴族や神官には欲望を解放させている。

 工業文明は、緑が数百万年ないしは数億年かけて固定化した化石資源を使い果たしながら、崩壊の危機を迎えている。この文明は、採用した国々の庶民の欲望まで解放することに成功した。そして、その解放に供したサブシステムがファッションビジネスである。だが、人類のわずか2割程度をこの文明に染め、欲望を解放しただけで、この文明は破綻の道に踏み出している。その顕在化の一端が、テロ問題であり、難民問題である。この文明を改めない限り、テロ問題や難民問題はなくならず、むしろ深刻の度を増してゆく。

 急ぎ、次の時代を編み出し、移行しなければいけない。工業文明がテロ問題や難民問題の母体だ。こうした主張がしたくて私は脱サラし、拙著をしたため、そのシンボルマークなどをこしらえた。

 大人は、旗色を明らかにしあいたい。旗色を明らかにできてこそ大人だと言いたい。そして他の人の旗色を尊重したい。尊重できてこそ大人だと言いたい。と同時に、真っ白な子どもをいかに彩らせばよいのか、と深く考えたい。そう深く考えられてこそ大人だと言いたい。ここに真の多様性を見出したい。この願いもこの3つの木の塊には込めている。

 実は、この木の塊は、アイトワの庭で採れた。私の手では御し難くなった木はプロに頼んで制御してもらうようになったが、その過程でこの木の塊は生じた。プロが切り取った枝や幹の跡があった。その跡に、さらなる鋸を、ある意図をもって私が入れた時に、生じたのがこの3つの木の塊だ。この塊に、私は深切という親切を見出している。こえもアイトワのシンボルにふさわしい、と思っている。
 

3本の木をあしらった紋章