今もありありと、その夜のことを思い出す。わが国の「鳥インフルエンザ問題」は京都府で最初に発生し、大問題になった。その処置が完了した日の夜のことだ。この友人の慧眼と優しさに触れる機会となった。
それ以前から心惹かれる人となっており、一緒に国内旅行にも出かけていた。この人は脚で稼ぐ1次情報を大切にする人であったので対話がいつも弾んだ。その内に心惹かれ、海外旅行もする仲になった。だが、彼は定年退職を機に郷里に戻り、農業に手を付けた。自ずと会う機会は減り、疎遠勝ちにならざるを得なくなった。
それだけに、このたびは飛び切り嬉しい再会となった。それは、近年彼が京都に再来せざるをえない不幸な病に見舞われ、それが心温まる幸をもたらす機会になったようだ。その幸も、私が心惹かれたこの人のやさしさの賜物だろう、と思う。そしてその幸は、心やさしい人の情を私に思い知らせるところとなり、より私を人間好きにした。ともかく私は、多少であれ袖触れ合った以上は、互いにより幸せになり合いたいと思う。それだけに嬉しかった。
そもそもの彼とのキッカケは、ある同好会の例会会場として、一度アイトワが選ばれたことだ。これが私にとって、世界のお茶や茶の木の植生などについて学ぶ機会となり、私も仲間に入れてもらい、行動を時々共にするようになった。セイロン紅茶のイロハを学ぶスリランカの旅はその1つだ。
この旅には、彼は社会人だったお嬢さんを同伴した。「奥様は」と気にかけで尋ねると、お嬢さんが話を引き取って「母は別居です」と応えた。だが、夫人と私の縁は細々と続いた。例えば講演会場で出会えば立ち話をするなど。ある時は、お嬢さん連れで夫人が「アイトワの近郊まで来た」といって立ち寄って下さった。その時は、お嬢さんがタバコを吸い始めていた。私は後刻、妻に「偉そうに」とコッピドク叱られたが、反射的に喫煙を諌め、禁煙を進めた。だから「偉そうに、父親でもないのに」と、妻になじられた次第だ。
他方、友人との付き合いはむしろ深まり、トスカーナ地方を巡る旅などにも出掛けたわけだが、その折々で彼は別れた夫人を偲んだ。やがて私は「メソメソするな。忘れてしまえ」と、けしかけるようになった。なぜなら、離別の原因は彼にあり、いわば生活観の相違、と見たからだ。
もちろん、生活観を問題にすれば、私こそ反省せざるを得ない。「よくもまあ、森さんの奥さんはついて行って」いるものだ、と思っている人が多いことだろう。
それはともかく、この友人が府の職員として不眠不休で鳥インフルエンザ問題の処理に当たったときのことだ。なんとかして私は友人として労いたかった。妻の提案で、妻の手作り料理で迎えることにした。当然、話題は鳥インフルエンザ問題から、その対策への疑問と進んだ。
今も私は、府の鳥インフルエンザ問題に対する取り組み方は間違っていた、と見ている。問題は、その取り組み方が日本中の、どころか、世界中の取り組み方であることだ。そこに私は、人間の愚かさや驕りを見出しており、いずれは大きなしっぺ返しを受けることになる、と睨んでいる。それをしっぺ返しと見るのではなく、自然の摂理、あるいは自然の偉大さ、と見る方が妥当かもしれない。要は、今のやり方は、問題の再生産加速方式に陥っている。
友人のよしみとして、私は奇妙な質問から切り出した。TVのニュースによれば、何万羽というニワトリを、いわば生き埋めにして、皆殺しにしていた。丈夫な大きな袋に詰め込んで厳重に縛り、プールのような大きな穴を掘ってその底に並べ、土を被せて埋め込んでいた。そのありように、大いなる疑問を私は抱いた。
キットこの作戦に参加した職員は、広い養鶏場の中で逃げ回る鳥を一羽残らず捕まえて、急ぎ殺処分にしたのだろう。半殺しのまま袋に詰めたニワトリもいたに違いない。
「元気に逃げ回る鳥もいたでしょうね」「むしろ、元気な方が多かったのではありませんか」とたたみかけていった。ジッと聞いていた彼は、涙を流し始めた。やがて箸を止め、嗚咽し始めた。
アメリカ大陸では、かつて2000万人ほどの先住民が平和に暮らしていた。白人の入植によってその95%がいわば殺されている。それに似た物語を生じさせかねないことを、近代文明人の鳥インフルエンザ問題は始めている、と私には見える。彼の嗚咽に驚きながら、私はこのようなことを考えていた。
アメリカ先住民の生き方は、あるいは考え方は、入植した白人に大いなる影響を及ぼし、真の民主主義思想を教えた、という。それは基底文化に基づく民主主義と私は観ており、やがて文明人はこれを紐解き直し、学ばなくてはならなくなる、と私は見る。さもなければ、江戸時代のわが国を見習わなくてはならなくなるだろう。
それはさておき、アメリカ大陸にたどり着いた当初の入植者は、この基底文化に基づく民主主義、つまり真の民主主義思想に救われて、冬越しもできたに違いない。先住民がどう猛であれば、せいぜいが何百人程度の入植が断続的に続いたころは、ひとたまりもなく血祭りにされていただろう。それが逆に、先住民の方が95%も死に絶ええることになった。なぜか。
それは先住民が、近代文明化した人間のどう猛さを見抜くことができず、やがてはそうした入植者が次々と持ち込も未体験の細菌に、免疫力では対抗しきれなくなったからだ。コレラはもとより結核やぺストなどの細菌の餌食にされ、蔓延させてしまった。余談だが、白人は逆に梅毒を欧州に持ち帰ったが、それには打ち勝つ手だてが間に合っている。
鳥インフルエンザは、野鳥から広がると言われるが、野鳥の世界では、倒れるものは倒れ、生き残るものは生き残っている。つまりその手の細菌に免疫力で打ち勝つものが残っている。
細菌は次々と進化し、より強くなる。その都度、野生の世界では免疫力で生き残るものは生き残り、新手の細菌に打ち勝ち、だんだん強くなっていく。他方、人間に飼われた鳥は、己の免疫力で打ち勝つことができる鳥まで一緒たくたに、人間に皆殺しにされる。その結末には何が待ち構えているのか。限りなくひ弱い鳥を、厳重な隔離の下に飼わざるを得ないことになるだろう。無理はないか。
それはともかく、友人は役人として命じられたことに忠実だったが、その慧眼は疑問を見出していたに違いない。そう私は勝手に見て取り、話題を変えた。この時にも強くこの人に心惹かれた。
その彼が最近、深刻な運動神経系の疾患を背負った。郷里では対応できず、京都での治療になったのだろう。そうと知った夫人が、いったん見捨てたような夫のために、動いた。彼の生活観を許した訳ではなく、きっと彼の優しさを見捨てる気にはなれなかったのだろう。看護と言う面倒を受けて立った。それが功を奏し、彼は動けるようななり、わが家にも訪ねてもらえた。
もちろん、私のことだ、言わずもがなことを言ってしまった。「奥さん、これだけは嫌、と言うことはハッキリと言いましょう」。そして友人には、「いったん、死んだつもりで、必ず聞き入れましょう」。また妻に「偉そうに」と叱られそうなことを言ってしまったわけだ。
夫人はなぜか、この時に、かつてお譲さんと一緒に立ち寄って下さって時のことに触れ、「娘は、あれからタバコを止めました」と教えてくださった。
かくしてお二人を見送ったが、「あの時に」と我が身を振り返った。陸でわたしが溺れかけた心臓疾患に襲われた時のことだ。私こそ、いったんは死んでいたつもりで、わが妻に対するありようを見直さなければならない、と深く反省。
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