アブナイ」
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どん欲か、狡いか、無能な政治家は、古来やることが決まっている。民の目をくらませることに労を策すること。たとえば、あらぬ危機を煽りたてたり、無用な事業で囃し立てたり、あらぬ競い合いに躍起にさせたり、戦争をオッ始めたり、あるいは他愛の無いゴシップに躍らせたりして、民の目をごまかそうとするものだ、 そうと分かっていながら振り回されてしまうのが人情だが、この日は違った。夜遅くにTVをつけたおかげで、あるいは前夜NHK−TV で「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」などの録画を観ていたおかげで、覚めた気分と落ち着きはらった目で北朝鮮のミサイル発射のニュースも眺めることができた。 おかげで、日本国の体質まで垣間見たような気分にされた。本来ならアメリカは「北朝鮮が求める交渉」に応じるべきだ。だから日本はそうすべきだと助言すべき立場にある。だが、両国のリーダーは逆に、軍の合同演習などに躍起となって北を刺激することばかりしている。 日米の国民のためには和平交渉こそが大切だが、それでは両国のリーダーにとって都合が悪い。ロシア疑惑で攻め立てる国民の目をそらせられないし、モリとカケのダブル疑惑で攻め立てる国民の目もそらせられない。両国のリーダーはなんとかして、国民の目をそらせ、ほとぼりをさめさせたい。 だから両国のリーダーは、己の権力を駆使してあらぬ火を北にたきつけ、派手なし返しをさせて、国民を動揺させ、ことの本質を見誤らせようと躍起になっている。その手口が私の目にも丸見えになり始めた。これは北のリーダ-にとっても都合がよいことだろう。同じく立場が危うげな人だ。 そこで日米の2人は、もう1人の暴君を焚きつけ、虚勢を張らせることに躍起になるわけだ。70数年前の日本も「アメリカに石油の禁輸を通告され」、煽られたなぁ、と過去を振り返っていると、この同じ手口まで日米の2人は手を携えて用い始めた。「情けないなあ」と思わせられた。こんなことなら、ウイーン会議をせせら笑った庶民の方がよほど幸せだったことになる。 当時の大勢のリーダーたちがウイーンに結集し、贅を尽くして呆け回った。庶民は「ウイーンは踊る。されど決まらず」とあきれ返ったが、なんとその後、きな臭い欧州で100年ほど戦争が生じなかったと聞いたことがある。要は、リーダーたちの猜疑心と保身とどん欲に、庶民はいつも泣かされ、振り回されて、絞られることになっている。 そういえばこのたび、在日外国人記者団が、カケだったかモリだったかの事件をスクープした朝日の記者を、とても高い表彰の対象にしていた。さまざまなゴタゴタを体験した外国人記者の目から見たら、黙ってはおれないこともあるのだろう。野卑な例えだが「知らぬは日本国民ばかりなり」と在日外国人記者には見えており、その認識が世界に向けて発信させた表彰だろう。 「知っている」と一言いえば、首を飛ばせていた官僚が、「私の記憶では、知らない」といったような発言を確か7度にわたって繰り返した。それは「知っている、だが本当のことを言えば私の身がアブナイ」「知らないと言えば、ウソになり、これも私の身がアブナイ」「だからこう言うしかないんだ」「そこをどうして突っ込んでくれないんだ」との必死の叫びと見た人も大勢いたことだろう。だから、「このスクープを無駄にしてはいけないよ」とのメッセージと私は受け止めた。 落ち着きはらった頭で傍聴した人には丸見えのことが、なぜか今の日本では見過ごされてしまう。アブナイなあ。徒も私には思われた。 そういえば、これもNHK−TVだが、森鴎外のもう一つの顔を[フランケンシュタインのなんとか]で明らかにしていた。軍医としての絶対権力を握る森林太郎が死ぬまで、その意向を忖度した人たちがこぞって「脚気の原因」を明らかにせず、陸軍兵士を見殺しにし続けていた。日露戦争に至っては、2万余の兵士が死んだが戦闘死は数百人に過ぎず、2万余が脚気で死んでいた。 他方海軍は兵士に麦飯を喰わせており、死なせていない。それは、海軍の高木軍医が、麦飯に何かがあると突き止めたおこげだ。しかし、高木は、森林太郎の筋違いの攻撃を受けて、歴史から消えている。森林太郎は、白米や麦飯などの消化吸収率の比較実験をして、白米が第1と主張し、高木の人格攻撃まで弁舌爽やかにしでかした。 当時の兵士は寒村の出身者が多く「銀飯を腹いっぱい食える」と期待して入隊したひとが多かった。だから森林太郎の指導に従い、副食物の摂取を減らしてまで銀飯を余計に腹にかき込んだ。それが陸軍の兵士を次々と脚気にしてバタバタと殺してしまった。 悪しき自信に満ちた権力者とは怖いものだ。だが、少し離れてところから少し冴えた目で眺めると、見えるものがある。それは外国人の目だ。当時、英国は、自国の切り拓いた南極の岬に高木の名を冠している。それは、英国も当時は水夫の脚気に悩まされており、高木の気づきに倣って救われており、敬意を表した、その名を永遠に残そうとした証だ。 この事実を、当時、日本の新聞記者でスクープする人はいなかったのだろうか。「残念だなあ」「アブナイなぁ」、「知らぬは日本国民ばかりなり」ではないか。 そういえばもう1人、立場が怪しげになった英国のご婦人が日本国旗のような色彩の服に身をまとってお訪ねになっていた。そして、格好のパフォーマンスのお相手となって見せ、チャッカリご自身も日本から長期政権を目指すと発信していた。立場が怪しげになった権力者はアブナイなぁ、似ているなあ、と私の目には映った。 そのうちに日本では、またこの前と同じような、国民を素っ裸にする事態が生じかねないだろう。この前とははいせんじのことだ。国民は敗戦のおかげで特高などの縛りから解かれ、安堵した。だがそれも束の間、辛酸をなめることになる。それは当時の特権を持つ政治家、資本家、陸海軍の将校が、敗戦のどさくさ紛れをいいことに民の兵糧枚までかっさらい、私腹を肥やしたからだ。 この真実は「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」でNHK=TVはつまびらかにしていた。 本土決戦のために国民から掻き集めて、経済を2年間ほど支える物資が日本には備蓄されていた。だが、米軍の進駐時にはあらかた消え去っていた。それら国民の財産を横領したのは、当時特権を持つ政治家、資本家、陸海軍の将校だった。やがてそれらは闇市にも流れ、国民は途方もない値段で買わされている。 日本はこのところ、戦前と同じような体質の国家へといざなわれている。その根源を突き詰めると、7人のA級戦犯が死刑になった翌日に、因果を含めて釈放された児玉や小佐野や現首相の祖父に行きついついてしまう。アブナイなぁ。 この前は、武力戦争で囃された。今度は経済戦争時代だ。異常なる金融緩和は、やがてドサクサまぎれの奥の手に結び付けられそうに思われてならない。アブナイなぁ。 |
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モリとカケのダブル疑惑 |
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