まず、当週も胸が熱くなる電話が2本あった。私に務まるのだろうかと思いながら、当朗読劇プロジェクトのチケット等に関するお問い合わせ先を引き受けたが、そのオカゲだ。「まだチケットは残って居ますでしょうか」との電話だった。公式サイトを見てのお問い合わせだが、話をさせていただきながら、さまざまなことを振り返った。と同時に、当日は声をかけていただけるだろうか、と胸がドキドキする思いをした。
受話機を通しての会話の勢いで、声をかけていただきたい、背中をつついていただきたい、とお願いしたものだが、実行していただきたい、との期待だ。
さまざまなことを振り返ったその最初は、なぜか商社に勤めていた頃を思い出だ。M・Cさんはお元気かなぁ、と懐かしくなった。要は、加齢の自覚だろう。若かりし頃は、と振り返ったもので、なんてことはない、M・Cさんにはずいぶん助けてもらったなぁ、となつかしくなった次第だ。
当時は常に、錯綜させてはならない10数件のプロジェクトを抱えた日々だった。そのような状態が幾年か続いた。5分とか10分おきにキチンと頭を切り替えないと大変なことになりかねない時期だったが、M・Cさんのおかげで事なきを得た、といっても過言ではない。
彼女には、給与振り込み通帳とハンコも預けていた。自分で管理するヒマがなかったからだ。そんなこともあって、M・Cさんはお元気かなぁ、と懐かしくなったのだろう。
「森さん、お金がありません。これで(売り買いは)やめてください」なんて警告をしてもらえたことさえあった。その商社では「現物相場」に手を出すことは厳禁だった。だが、私はセールスマンにそそのかされ、行きがかり上、手を出した。結果、大っぴらに電話口で売買の話しをした。問題は、借財して表ざたになると仲間にまで迷惑をかけかねない。それが、彼女のオカゲで事なきを得た。
日常茶飯事は、書類や資料をよく見失ったことだ。その都度、80人ほどいた部屋中に大迷惑をかけた。私が大騒ぎするからだ。いつも、とどのつまりは「森さん、(森さんの)引き出しを探します」とM・Cさんが救ってくれた。そのつど「やっぱりありました」と彼女が大声を張り上げ、「またか」と大爆笑。その都度「お騒がせしました」と大声で詫びたものだ。よくもまぁあれで、増収増益を続けられたものだと思う。これは、当時の仲間全員のオカゲだ。
これと似た迷惑をかけかねない、との用心だろうか、このたびの朗読劇ではアイトワ塾生に事務局を引き受けてもらっていた。それがヨカッタと思う。これもM・Cさんを始めさまざまな人に甘えながら、こうありたいとの願いをかなえて来たクセが出たのだろう。
なぜかこんなことに気付かされ、幸せだなあと思いながら、感謝の気持ちが沸き上がった。
当週は、新たに2冊の本を買い求めた。1つは、「わが国の実体」を感じ取りたくて、他の1つは「人間の定義」を気にかけている関係だ。わが国はこの2つの間に、ものすごい溝と言うか、乖離を私は感じ取っており、下手をするとわが国はズルズルッと沈滞する、と睨んでいる。
でも、また猶予期間がある、と見る。なぜなら、若手官僚グループが『不安な個人、立ちすくむ国家』と題するレポートを公表できたのだから。私は、早とちりして『不安な国民、立ちすくむ日本』とヒトサマに紹介し、勧めていたが、それは次の一言を加えたいがためだった。
「敗戦前なら、こんなレポートを出せただろうか」といいたかった。気付いてもらいたかった。この若手官僚グループはたちどころに特高に捕まり、闇に葬られていただろう。もちろん前川前文科省次官などは立ちどころに特高に捕まり、なぶり殺しにされていただろうし、国民の前での証言の機会など与えられるはずはなかった。
こうした無茶を可能にするために、このたび新設を急いだと思われる「共謀罪」だが、幸いなことに、間に合わず、このレポートは大手を振って出回っているし、前川前文科省次官は存命だ。だが、モリとカケの問題は、世間は忘れかけている。それもこれも、日本にまだはゆとりが残っていることを示しているのだろう。おめでたい話だ。
とはいえ、当週は、太陽で大フェレアーが発生した。ドイツでは、緑の党が総選挙で「全電力の需要を、2030年までに再生可能エネルギーに賄う」ことを公約に掲げたことを知った。それなりに、イ急がなければいけないこともありそうだ。
アダムは禁断の実に手を出したことになっているが、人類にとって禁断の実は原子力だろう、と私は言いた。人類の有史はわずか1万年程度だが、放射性廃棄物は10万年の保管が求められている。にもかかわらず、現政権は原発の再稼働を急いでいる。そのありようは異常を通り越している。
このたび、この朗読劇プロジェクトを放射能問題の一環として自覚したくて買って出てしまったが、つくづくヨカッタとおもう。大勢の人に助けてもらえることになったし、甘えるありがたさも味わっている。今では3つの問題さえ同時並行して遂行するのがシンドイにもかかわらず、何とかやり遂げられそうな勢いを感じている。ありがたいことだ。
|