真にグローバル
|
2つのグローバリズムがある、と私は考えて来た。そして、私が願う真のグローバリズムが昨今は優勢になりつつある、と実感している。それは真の女性の時代が到来しつつあることを意味しているのではないか。幸島のイモと言う子ザルが始めた文化の伝播を思い出す。雄の成獣だけは新しい文化を死ぬまで採り入れられず、老いさらばえたと聞く。 それはともかく、2つのグローバリズムに共通することは、コトを共に全地球的にとらえようとするところにある。だが、これまで注目されて来た1つのグローバリズムは、拝金主義グローバリズムと言ってよい。例えて言えば「全世界を見渡せば、まだまだわが社にとっての市場は残っている」と言わんばかりのグローバリズムで、地球を大きく見ているグローバリズムだ。 他方、なんて地球は小さいンだ、と見るグローバリズムがある。かつて「地球に優しい」という言葉を私は作り、『人と地球に優しい企業』という題を拙著につけたことがある。その想いは取材中にこのグローバリズムに気付かされた結果だった。幸い、その年(1990年)の流行語大賞の、確か銀賞をいただいたが、あまり嬉しくはなかった。なぜなら非難する人が多かったからだ。 「不遜である。人間なんてちっぽけな存在であり『地球に優しい』なんて発想すること自体が傲慢である」と言ったような避難だった。 私は、これまでの企業は自分たちには優しいが、消費者や地球環境には厳しい存在であった、と見ていた。「消費者は王様」と言わんばかりにおだてあげ、下から目線を心がけ、煽り立てたぬいぐるみ剥がすような社会にしてきた。これからは『自分たちには厳しいが、人と地球には優しくなる企業にならなければいけない』と呼びかけたかった。 トランプさんはまだ、工業文明と温暖化は関係がない、と言いたげだが、今現在、フロリダに大きなハリケーンが刻々と近づいている。 グローバリズムには、地球を大きく見る近視眼のグローバリズムと、地球は小さいと見る鳥瞰的なグローバリズムがあるわけだが、私は地球は小さいと見るグローバリズムこそが真のグローバリズム出会った欲しいと思う。 |