有意義な間違い

 

  方丈一帯の空間と、その滞在をより優雅にする工事が本格化した。その過程で、「手違いが生じたので、立ち会って欲しい」と乙佳さんが呼びに来た。

 それは、母屋の一角をいじくり、一帯の空間を優雅にする方の問題ではなく、滞在をより優雅にするためのガス工事で生じていた。乙佳さんが電話で指示した通りに進んでおらず、ガス屋さんが指示を取り違え、かなりのところまで進めてしまっていた。もちろん、ぶち抜いたコンクリートの基礎部を元に戻すなど、改めるのはそれほど問題ではない、と見て取った。

 しかし、私は「この方がイインじゃない」との判断を下した。新たに取り付ける給湯器の位置を、間違えていた。母屋のユーティリティ(洗濯やアイロンがけ、あるいは庭掃除道具の収納など)ルームの外壁にとりつけるが、西面の予定だったのを北面で工事が進んでいた。

 北面に取り付ける案を私たちは検討していなかった。方丈から眺めた景観。母屋の寝室から眺めた景観。バスルームまでの距離。あるいは工事の難易度。こうした点を勘案すると「なぜ北面に取り付ける案」をまったく思いつかなかったのか、不思議に思われた。

 ガス工事の人は、聞き違えたことを詫びた。それに対する私の答えは簡単だった。人には間違いや誤解はつきもの、と思っている。問題は、その間違いや誤解には、よい間違いや誤解と、悪い方があるように思う。「よい間違いや誤解をする人は、良い人に人が決まっています」