日本はアメリカに従属しがちだが、フィリピンの大統領は、元はアメリカの植民地であったにもかかわらず、アメリカを手玉に取りかねないほど対にわたり合っているとか、中国の専横ぶりなども話題になった。かと思うと、アース・オーバーシュート・デーも話題にのぼった。
次のようなことを私は叫びたかったが、抑えた。数々の書籍で明らかにされているこうしたことよりも大事なことが、もっと他にあると思ったからだ。
まず、叫びたかったことは、峻別だ。国民を操りかねない権力と、操られかねない国民の峻別が必要だ。つまり、国民の立場になったり、いつのまにか国の立場のようになったりして、喜怒哀楽にかられかねない。とりわけ、国はこうあって欲しいと願うがあまりに、まんまと(国民を操りかねない)権力の操作に振り回されてしまいかねない。
たとえば大本営発表。勝って欲しいと思うがあまりに(勝っているとの)ウソを信じた。それが、とことんまで国を亡ぼしてしまう手助けをしたようなことになった。結局、国は焼け野原になり、国民は被害を受忍させられた。だが、権力者の多くは今もほくそ笑んでいる。A戦犯で死刑にされた人を主に、60兆円に達しようとする国税が遺族年金として支払い続けられている。
その7人が処刑された翌日に、冷戦におののくアメリカに「防波堤が必要だ」と気付かせ、釈放された岸信介ほかA戦犯もいる。そして岸信介などはアメリカから裏金をもらい続けた。その見返りに、自衛隊を作り、思いやり予算で、日本に駐留する米軍の、人件費以外のほとんどを負担している。
この善悪を私は云々するつもりは毛頭ない。要は、事実を知った上で、国を大事にしたい。権力の心労にも心を払いたい。騙され続けようとする(だけの国民の)努力は寂しい、と思う。
フィリピンがアメリカを手玉に取りかねないほど対にわたり合えるのは、アメリカとキチンと交渉して(アメリカと中国を天秤にかけられるまでの)真の独立国を勝ち得たからだ。だが、日本はそうはなっていない。実質上はアメリカの属国のままになっている。在日米軍の裁判権は日本にない。在日米軍は日本を基地として自由に使う基地権を有している。もっとも、日本の国民が騒ぎ立てた場合は、少しずつ遠慮しがちになっているが、それは裏契約があることを国民に気づかれないようにする配慮だろう。
日米安保にしても、日本が戦乱に巻き込まれたときにアメリカは日本を基地として戦争することができるが、日本を救うとはどこにも書いてない。これは憶測だが、日本で万一革命が起きた場合の配慮ではないか。革命を起こした国民から権力者を守るための阿吽の呼吸が、そうさせているのではないか。たとえばかつてのベトンムでは、そうだった。
日中関係は、本来なら蜜月関係であっていいはずだが、逆にギクシャクしている。田中角栄は日中友好を成し遂げたが、日本の国民はその時に、中華民国と同様に、中国にも大きな恩義を賜っている。日本に対する戦争賠償請求権を放棄してもらっている。もし、放棄してもらえていなかったら、今の繁栄を日本は謳歌出来ていなかったのではないか。なにせ、人的被害だけでも、日本軍は少なく見ても1000万人もの中国人を殺戮したのだから。
しかし中国は、賠償責任を日本に追求すれば、日本はその負担を国民に背負わせるに違いない、と見て、放棄している。本来は、戦争を起こし、国民を戦争に駆り立てた権力者が被るべき責任だが、日本はドイツのように、国の責任者を自らの手で裁きそうになかったからだ。事実、A級戦犯を首相にさえしているし、その後も、その筋の一派がのさばっている。
感謝して余りあるこうした恩義を日本の国民が中国に対して抱きかねなくなることが気に召さなかったのか、アメリカはロッキード事件を持ち出して田中の英政治生命を断っており、日中関係はギクシャクさせている。日本国民はこうした事情を充分には知らされておらず、国は中国をまるで仮想敵国のように仕立て上げている。中国にすれば、そのような日本に安心できるだろうか。
とはいえ、このようなことは、私には大した問題ではない、と思っている。宇宙船地球号の戦場でもゴタゴタに過ぎない。この日の塾で話題にのぼったアース・オーバーショート・デーにこそ私は興味をひかれた。この問題は、宇宙船地球号の沈みかねない問題だ。生きとし生けるものの生存に関わる問題であり、次元を異にする大事な問題だと思われる。
『次の生き方』を著わした2008年ごろは、世界中の人が日本人並みの生活をするには地球が2.5個ほど必要、との計算が明らかになっていた。だから拙著でエコロジカルフットプリントにも触れた。また、ピークアウトの問題も明らかになっていた。石油で言えば、その年に発見する埋蔵量より、掘削し消費する量の方が常態的に上回りはじめたわけだ。
ちなみに、今日では、世界中の人が日本人並みの生活をするには地球が3個ほど必要、との計算が明らかになっている。これを繁栄と見るか否かは、各人の想いだろう。
ここに至って、アース・オーバーショート・デーが云々されるということは、こうした問題が深刻になってきたことを示しているわけだ。アース・オーバーショート・デーとは、世界が環境収容能力を超える日を意味している。つまり、植物が1年間に増える量(再生可能資源)を消費し尽くす日のことだ。それが、今年は8月2日であったという。
この危機感は、家計に例えると分かり良い。年収を8月2日で使い切り、後は借金生活に入ったと言えばよい。しかもその借金を未来世代に付け回そうとしている。
あえていえば、これが、難民問題や内線問題、あるいはテロ問題を深刻にしているわけだ。
『次の生き方』を著わしたころですら、地球が産出する食料や地下資源を、当時の先進工業国の11億人(地球人口の5分の1)が、食料の50%を、地下資源の80%を消費していた。残りの20%と50%を残る80%の人々が分かち合っていた。その80%の人口の中に中国やインドが入っていた。
その13億人の中国や10億人のインドが工業国入りを目指していた。
当時は、牛肉を1kg得るために7kgの穀物を要していたが、今日では10kgを要している。その方が、牛の成長を加速し、採算上有利なのだろう。この牛肉で言えば、この10年で中国の牛肉輸入量は78倍に増えている。いかに、食料問題を深刻にしてきたかが容易に想像できる。
難民問題はつきつめれば飢餓問題に行き着くだろう。これは人権問題でもある。人権問題として捉えられない人や国はテロ問題に悩まされて当然だろう。
それはともかく、私はもっと恐ろしいことが気になっている。それは植物のストライキだ。
炭酸同化作用をする生きものが地球上に現れた頃は、地球の大気には酸素がなかったと言ってよい。太古の地球では、酸素はいわば毒ガスだった。その炭酸ガスだらけの大気の中で植物は進化し、繁栄し、石炭紀をなした。
だから私は、昨今の高まる炭酸ガス濃度を植物は歓迎するに違いない、と思っていた。ところが、今日の植物は、酸素(太古では毒ガスだった)が多く混じった大気の中で適応するように進化していたことを知った。つまり、急激に炭酸ガス濃度が高まれば今日の植物は(逆戻りする進化のスピードが)ついてゆけず、生きづらい環境となって、バタバタと枯死してしまいかねない。いわはそのピークアウトのような時点を過ぎれば植物がストライキに入ったような事態が生じかねず、取り返しがつかない事態になりかねない。
アース・オーバーショート・デーは、現有植物が期待通りに炭酸同化作用をすることを前提にして計算しているが、植物のストライキというダブルパンチをこうむりかねない。
トランプは、目先のアメリカだけ考えて、つまり操作できる人の熱気を当てにして囃し、己の延命だけ考えており、パリ条約から離脱し、改めようとしていない。核兵器禁止条約にしても、アメリカは加入しないだけではなく、加入の妨害をしている。
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