妻流の収穫方法

 

 荒っぽく言えば、妻の収穫法は野生動物に近い。時々の食事を最も豊かにするための収穫法だ。つまり、妻はその日の調理に想いを馳せながら収穫に出る。畑にたち、野菜などの育ち具合を見て、冷蔵庫の在庫と勘案し、メニューを決める。そして、決めたメニューに想いを馳せながら収穫する。だから自ずと、モロヘイヤなどの野菜は暴れがちになる。

 つまり、年老いた2人分の調理にふさわしい質や量を睨んで摘み取るわけだから、自ずと残すところが多くなってしまう。モロヘイヤで言えば、草丈がどんどん大きくなってしまう。

 アース・オーバーシュート・デーで言えば、収穫日は9月23日だが、畝に残るモロヘイヤで言えば、12月ごろ、と言うことになる。

 私の収穫方法は違う。調理に要する作物を採るだけでなく、収穫した後の植物が、明日はこのような姿になっていてほしいとの願いを込めて収穫する。

 もちろんアース・オーバーシュート・デーで言えば、私の場合は、収穫日が9月23日とすれば、畝のモロヘイヤで言えば10月程度だろうが、目を堆肥の山に転じたら、2か月分ぐらいのモロヘイヤ(の軸や粗い葉)が積み足されており、その分を加えればむしろ翌年の2月頃と、妻より2カ月ほど積み足しているだろう。

 この妻との差の2か月分は何か。それは私の収穫法はそれだけ畑の土を痩せさせがちになっている、と言うことだ。つまり、その分が堆肥の山に積み足されている、というわけだ。

 この差異が、畑の様子を変える。

 このたび、久方ぶりに私が収穫したので、畑の様子が変わった。まず、畝の仕立て直しの都合で、第1次の収穫をした。それは、畑仕事の邪魔になる分を切り取り、妻に良いところ取りをさせた後、軸や粗い葉は堆肥の山に積んで始末した。

 次いで、明日はこのように新芽を沢山吹いて更新してほしいとの願いを込めて収穫した

 要は、アース・オーバーシュート・デーでいえば、庭全体ではどんどん未来の月日にしている。その典型は庭の樹木だ。燃料換算で見れば備蓄量がどんどん増やしながら、それなりの庭園風に育てているつもりだ。これがわが家の定期預金だ。



 

畝の仕立て直しの都合で、第1次の収穫をした

願いを込めて収穫した