安堵して

 

 談話室まで車椅子の親友を私が押した。「お父さん、どんな気持ち」と奥さんが問いかけると友人は「最高」と返事した。談話室で、お嬢さんが「治ったら、お父さん、一番に何がしたい」と尋ねると、40年来の友人は「掃除」と応えた。

当初(お嬢さんから電話をもらった時)は驚いた。病院の対応が不満な様子であった。

奥さんとお嬢さんは救急病棟に駆けつけ、医者から病状と治療計画を聴いた。その直後に、お嬢さんから電話をもらった。奥さんが代わって、「娘が言うことを聞かず、お電話などして」と詫びて下さった。私なりに病状と、病院の応対を聴き、慰め方を私なりに調べたくて、折り返し返答した。

その後、逐一お嬢さんや奥さんから電話で現状が知らされ、次第に期待通りに回復に向かっている、とみた。ついに、「森サンなら、主人は分かるかもしれません」との知らせがあった。「ツイテいる」と思った。2泊3日の出張予定が入っていたからだ。即刻、出張先に連絡を入れ、この出張に便乗して友人を見舞いたいと伝え、スケジュールを調整した。それがヨカッタ。

翌朝の面会時間は10時からだったが9時40分に駆けつけ、入れてもらえた。リハビリセンターまでの車中で事故の様子もうかがった。車椅子の友人はテレビ室で、微動もせず画面に見入っていた。

思えば不思議な付き合いだった。ある企画を持ち込み、受け入れてもらえた企業の窓口責任者だった。努力を惜しまない人だから、時にはとことん話し合い、おかげですぐに目的を共有する仲になれた。仕事での付き合いは数年に過ぎなかったが、欧州には良くい所に出かけた。おかげでその後、家族付き合いになり、妻が1人で訪れて泊めてもらえる関係になった。そうした行き来する関係が30数年に及んだ。

リハビリセンターでの彼は、身じろぎどころか、まばたきもせずに、無表情でTVに目を注いでいた。だから顔を覗き込まなければいけなかった。目が輝いた。「お父さん、分かる」と奥さんが隣から問いかけた。「森さん」と返った。うしろからお嬢さんの喜ぶ気配が伝わって来た。

談話室まで車を押しながら、ふと思い出したことがある。実は、妻の母親は介護付きのセンターに入り、妻は妹をともなってしばしば訪れた。そのたびにやせ衰え、認知症の度合いが進み、母親思いの妻の顔さえ認識できなくなったと嘆いた。そして私の面会を許さなかった。「母が元気であったころの思い出をズーッと持ち続けてあげてほしいの」と言い張った。

それだけに、友人の意識が戻ったことが嬉しかった。手を握ると、片方はひ弱かったが握り返した。娘の質問にたいして「掃除」と応えた友人の意識に私はすっかり安堵した。

帰途の車中でお嬢さんにもらった本を読みながら、友人を偲んだ。奥さんやお嬢さんに付き添われてのことになりそうだが、友人の来訪もきたいできそうだ。