グサッときました

 

 誰しも同じ失敗は犯したくないだろう。私は人生で、とても大事にしてきたことは「判断ミスを繰り返さないようにすること」だが、また新たの失策を犯した。

 判断ミスは、どこで、なぜ生じるのか。私はこの検証をとても大事にしている。勤め先の上司や部下だけでなく、取引先の人たち、あるいは妻とも嫌になるほど議論を重ねて来た。それが多くの旧友をつくらせている。先週、見舞った40年来の親友ともこの検証に膨大な時間を割いたおかげだ。とはいえ、喧々諤々は避けたい。にもかかわらず、また犯してしまった。

 このたびは、判断ミスをどこで犯したのかと戸惑っているうちに、後藤さんをカンカンに怒らせてしまった。その日(日曜日)の夜になって、翌月曜日から始まる錯綜した日程を見直したが、その時になってハッと気づかされた。後藤さんと交わした大事な一言を思い出し、その一言がヒキガネになってありありと思い出し、あわてた。私が間違っていたことを確信し、詫びた。あとは、後藤さんにこの思いを感じ取ってもらうしかない。

 とはいえ、問題はこの判断ミスをなぜ犯したのか、だと思う。これをキチンと整理しておかないと、心が落ち着かない。そこで、いつものように先週の始めごろから紐解くことになった。

 水曜日から3泊4日の出張が入っていた。その最終日の土曜日は旧友を見舞うことになった。だから、埼玉から帰宅して、翌日曜日の11時(ルーチン)までに週記をまとめ終えるのは無理、とみた。かといって、月曜日と火曜日は気が張る(私にとっては大投資の)工事予定が入っており、さりとて水曜日にずらしたのでは遅くなり過ぎる、と後藤さんと電話で相談した。そこで無理やり、月曜日に挟み込んだことを思い出したわけだ。「シマッタ」と思った。

 問題は、この相談をしたことも、そこで交わした約束も、共にすっかり失念し、後藤さんに日曜日に電話をいれてしまったわけだ。この間に、何があったのか。

 埼玉で見舞った友人は、期待していた以上の回復ぶりと見て安堵した。また、友人のリハビリ時間が来たこともあって、とても早く帰宅できた。だから、「ありがたい」「ヨ−シ、早寝早起きをして週記をまとめれば、1時間ずらした12時までに間に合わせられる」と考えている。

 ここで、すでに日程を間違えていたわけだが、私は気付いていない。ともかく、後藤さんを迎える前に週記を仕上げておきたい、との思いに駆られていた。

 この日、妻は外出予定があったのでいつもより早く起き出してきた。そこで、「後藤さんと摂る2人分のカレーライスを(外出する前に)用意しておいてほしい」と頼み、「カツカレーにしましょう」との返事に喜んでいる。わが家では、カレーライスは特別なメニューだ。これも身勝手な油断をさせる誘因の1つであったのだろう。

 だから、日を間違えていることに気付かぬまま電話で「12時の約束だったのに」どうして、と後藤さんに迫ってしまった。もちろん後藤さんは疑義を挟んだし、後藤さんは来客中であった。だが私は強引に「3時頃には終えられそう」との見通しまで聞き出してしまった。

 怒り心頭の後藤さんを迎えた。きっと後藤さんは1週間ほど前の、私との日程のやりくり相談を振り返り、私の間違いを確信し、その指摘のために駆けつけてもらえたのだろ。

 残念ながら、私はまだその間違いに気が付いておらず、推敲にうつつを抜かしながら、「今日は待ってもらわずに済む」と、上機嫌でカツをオーブンで焼く段取りなどに当たっている。

 要は、言い訳のしようがない失念に加えて、ボタンの掛け違いに気付かず、どんどん既定の事実であったと思い込んだ行動をしてしまっていたわけだ。だから、それを取り繕うような態度もとったことだろう。カンカンに怒って、引き帰されてしまった。

 せめて、コーヒーなり、とケイタイで追ったが、応答はなかった。今にすれば当然だろう。だが私は日程を間違えたようだとわかっただけで、なぜ間違えたのかが得心できておらずポカンとしていた。

 善意で人を騙すことがある。悪意だけで騙すわけではない。騙すつもりなどなくとも、騙したようなことになりかねないこともある。一番の問題は、騙しながら騙されたと気付かせないように騙すことだろう。このたびの私の場合は、このいずれでもない。

 むしろ逆に、胸を張ろうとして躍起になっていたフシがある。後藤さんが日程を間違えて、と思い込んでいた。いつもは後藤さんを迎えながら未完成状態で、よく待たせてきた。カツを焼く準備も整っていた。だから、意気揚々と後藤さんを迎えている。

 今から思えば、加齢のせいかもしれない。3日にあげず、近ごろはカメラの置き場所を見失い、庭や屋内を探し回ることがある。実はこの日も、後藤さんに電話をする前に探し回っている。このカメラがなくては仕事にならない。だから慌てふためき、2度も所定の場所や、置き忘れそうなところを探したが、なかった。とどのつもりは、へたり込んで最後に撮った被写体に思いを馳せて考えている。やっとそこで閃くものがあり、見つけた。風雨から完全に守られているが、誰にも見つけられないところに置き忘れていた。床下倉庫の炭箱の上に置き忘れていた。

 要は写真を撮りにそこに行ったのだが、そこで他の急ぎ処置しなければならないものがあったことに気づかされ、それを持ち出して処置し、そのまま置き忘れてしまったのだろう。

 風雨にさらされないところに置き忘れたことが、油断させたのではないか。それはともかく、そこに置き忘れることになった理由が、その後の動きがいまだに分からない。

 それはともかく、夜になって、錯綜した翌日の時間割を点検した。その時になって「ハッ」と気付いた。間違いを確認できた。「シマッタ」と思い、早速詫びのメールを入れた。

 かくして月曜日になった。あいにくの雨で明けた。蓄電器の設置工事は予定通りに8時から始まり、10時半に歯科医を尋ねることもできた。そして、12時前に(後藤さんに「昼までには帰れそうだ」と話したように)帰れた。来客予定は4時半のままで、他に新たな約束は入れていなかった。だから「無理をすればルーチンの時間を挟み込める」と見て、後藤さんに「12時に」と来宅を頼んであったわけだが、これをコロっと失念していたことになる。

 それにしても、なぜ「無理をして挟み込んだ日程」なのに、失念したのか。なぜ失念していたことに気付かず、11時からのルーチンを、1時間ずらしておいてヨカッタと、日程ではなく、ずらした時間だけを気に留めていたのか。まだ判然としない。

 だが、実にありがたことだ、と思った。後藤さんにカンカンに怒ってもらえたのだから。まだ私はまだぼけ老人ではなく、一人前と見てもらえていたわけだ。そこをいい加減に扱われていたら、こうした反芻の機会を失っていたに違いない。そう考え始めていた時のことだ。

 昼食の準備に工房から戻ってきた妻が「後藤さんはまだ…」と尋ねた。2度目の「ハッ」だった。まず妻に前日、2人分のカレーライスを頼んだことを思い出した。なぜそのおりに「明日ではなかったのですか」と尋ねてくれなかったのか。

 次に、妻もそれを忘れていたのならば、「なぜ昨日ではなかったのですか」とか何とか言ってもよさそうだが、言い返さず、私の「一人分でよい」との返事に無言で応じたのはなぜか。

 このようなわけで、大勢の人から「お元気ですか」との電話をいただくことになったが、これにも感じるものがありながら、充分なるお礼を述べられなかった。

 でもこれで、遅まきながら、一皮むけたような気分になった。