このところ、ちょっとした贅沢が続いている。「個離庵」、「書庫」、そして「方丈」と続き、今は「方丈」周辺の景色の改善にまで力を注いでいる。
「方丈」は、さまざまな潜在的動機がつくらせたようなものだが、キッカケは乙佳さんに対する妻の質問だ。もうすぐ「手が空きそう」との返事に飛びついた。これがなかったら、まだ作っていなかっただろうし、作っていても、乙佳さんではなく、書庫の大工さんに頼んでいたと思う。
おかげで、親方のさまざまな魅力に触れた。どうして乙佳さんがそこまで親方に心惹かれたのか、惹かれるのか、と思っていたが、その謎も半ば解けた。
だから当週も、「方丈」周りの見栄えの改善だけでなく、「方丈」でも一部の改善に手を付けた。それは、階段を降りる時に頭をぶつけかねないモヤ(母屋)に窪みを入れる作業であった。大工の末富さんに受け持ってもらえたが、そのセンスに感心した。
電気工事の中尾さんには、元は外壁に沿って走っていた2本の配線を、中尾さんのセンスで内部配線に換えてもらえた。これもヨカッタ、と思う。
懐が寂しい年頃(52年前、27歳ごろ)であり、日本もまだ、バブル景気など思いも及ばない時代であったが、両親は私が2年前に建てた家に倣って母屋を建てた。その後、3度の改装をした。だが、元の姿をなくしてしまわないように心した。過去と断絶しないように心がけた。
もちろん、これも私流のストック型生き方の一端を形に出来たことだと思う。
元をただせば、自分たちが出す有機物をすべて還元する植樹や野菜作りであったり、停電や断水ひとつで慌てなくてもよい心準備であったりしたわけだが、だんだん目には見えないストックに心が傾いていたことに気づかされている。
それはこのたびの床下倉庫から出て来た(亡き母が残した)代物をみて、改めて母の死に方を振り返り、母ゆずりの想いを引き継いでいたことに気づかされた次第だ。
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