私がその立場なら

 

 杉浦千畝のようなことは、私には出来ていなかった、と思う。相手が誰であれ、一旦約束をした以上は、背くことはできなかった、と思うからだ。

 妻も「そうね」「孝之さんならできなかったでしょうね」と、同調した。

 背ける質なら、面従腹背ができる質なら、商社は別にして、アパレルであれ短大であれ、辞めずに済ませていたはずだ。とり分け短大は、学生のために辞めずに堪えて、ひたすら良い母校にしていたはずだ。それだけに、私は杉浦千畝の勇気ある行動を尊敬している。

 南京虐殺問題であれ、従軍慰安婦問題であれ、私が当事者にされていたら、慰安婦には世話になっただろうし、南京では虐殺命令に忠実に従っていたはず、と思う。中国兵の中に市民に化けた事例があった、と聞いたことがあるが、その事実を目の当たりでもしようものなら、躍起になって機関銃をブっパなししていたに違いない。だから私は憲法9条を大事に思っている。

 自分をそのような立場に立たせたくないし、若者に立たせたくないからだ。

 こうした事例が報道されたりした時は、わが家では我ごととして話し合う。そして、嫌なことを命ずる権力をいかにして作らせずに済ませるか、を考えることにしている。