思い当たるフシがあり、感嘆

 

  習近平総書記は世界における現近のリーダーの中では、「現状」だけでなく「未来のあるべき姿」を最も深く理解している人ではないか。理解しやすい立場にある。アメリカがなしとげた「欲望の解放」路線を追求し続けたら、その行き着く先はどうなるのか。それに代わる路線があるのではないか、などと思案しやすく、思案せざるを得ない立場にある、と思われるからだ。

 要は、まだ工業化の成長期にあり、選択の余地を残した段階にある。工業化を突き進めるのか否か、その選択の余地がある。また、その選択が、自国だけでなく、世界の命運にかかわる大国であり、その悪弊はすぐさま自国に跳ね返ってしまう立場にある。その上に、世界の主要国の中にあって、その礎に古代文明を興した歴史があり、崩壊させた記憶も残る唯一の大国である。

 それが証拠に、第19回共産党大会で「習近平の思想」として「五位一体」を発表した、と解釈するのは無理だろうか。この五位の中にエコ文明が入っている。日米を始め、他の国のリーダーでエコ文明を挙げた人はいない。トランプは「MAKE AMERIKCA GRATE AGAIN」の程度だし、マクロンも「MAKE PLANET GRATE AGAIN」どまりだ。つまり環境(政策)やエコ社会ではなく、エコ文明の標榜は出来ていない。エコ文明を標榜したからには、工業文明を意識してのエコ文明であろうと見るのが順当ではないか。

 だから私は勝手に、この「五位一体」の5つ(経済、政治、文化、社会、そしてエコ文明の5つ)を、エコ文明と残る4つ(経済、政治、文化、そして社会政策の4つ)を分けて理解すべし、と考えた。つまり、エコ文明の創出が目的であり、その達成のために残る4つの政策をバランスよく運営しようとしているにちがいない、と見てとった。

 もしこの見方でよいのなら、これはスゴイことだと思う。とはいえこの達成には5年や10年ではなく、もっと多くの時間を要するに違いない。しかも、衆愚化しかねない合議制の社会では成し遂げにくいだろう。それが証拠に、ゴアやオバマはこれに近いことを推進したかったのだろうが、国民はブッシュやトランプを選び、それをつぶさせた。だからと言って、ぐずぐずしていたら時間切れになる。誰がその役割を担う上で適切か。担えるか。そう習近平総書記は考えたのではないか。

 そこで友人に、「エコ文明」の漢字表記を調べてもらうことにした。なんと翌朝には次のような回答があった。

 中国は、今回の「五位一体」を打ち出す前に、「三位一体:経済、政治、文化」が存在していた。このたび「社会」と「エコ文明」を追加した。ようやく社会にとって何が大切か、エコは欠かせないという所にたどり着いた、と言えそうだ。

 「五位一体の仕組みは、経済が根本、政治が保証、文化が霊魂、社会が条件、生態が基礎」と定義されている。全人代で決められた数々の政策は、往々にして国民が理解や納得する前に強行施行となってきたが、今回も試行錯誤しながら進めてゆくだろう。

 だからこそ、客観的な見方や国際社会の監督と提言が必要だ。

 ちなみに、「エコ文明」の中国語訳は「生態文明」だ。だから、人類が追い求める美しい楽園はこの地球しかなく、その大自然であることを忘れないようにしたい、という認識だろう。

 とあった。とても得心できる回答であり、この解釈に同じ志を見る思いがした。

 実は、このたびの「五位一体」の発表を見る前に、このした解釈をしたくなる考え方に触れていた。つまり上のような理解をしたくなる事情に私は恵まれていた。だから、「アイトワ12節」の中国訳化を進めることになり、「未来がほほ笑みかえる生き方を」とのアイトワのスロ―ガンの1つを添え、英語と中国語訳として添える用意を済ませてあった。

 中国は2049年に建国100周年を迎える。それまでにエコ文明を創出したいのではないか。さも、なければ地球がもたない。一党独裁が許されている間に成し遂げるべし、との考えであってほしい。

 もちろんこれはうがちすぎ、かもしれないも。身勝手なヒイキの引き倒しかもしれない。それはともかく、早朝にメールを開き、「生態文明」という文字を見た時に、私は感嘆の声をあげた。なぜ44年間もの長きにわたり、この言葉に気づけなかったのか、との嘆きと驚き、そして敬意の念などがないまぜになった感情だった。これまで、工業文明は早晩は破綻し、次の文明を創出しなければならないと訴えてきた、そして、工業時代に次ぐ時代として「第4時代」を想定してきた。そのイメージはまさに「生態文明」が切り拓く「生態時代」であった。

 もしそうであるならば、20世紀(工業文明社会)は、アメリカが世界の警察官たる役目を果たしたが、今やその役目を放棄したのも同然だ。21世紀(生態文明社会)は、誰が世界の警察官の役目を担うのか。担えるのか。そのための軍事力をだれが備え得るのか。自国主義者の軍事力と世界の警察官たる者の軍事力は峻別しなければならない。興味津々だ。

 この期待がぬか喜びにならないことを願いたい。