マイッタ

 

 先週は、習近平の「五位一体」に触れて「脱帽」と言えばあまりにも不遜だが、マイッタ。その思いはトランプが初の東南アジア歴訪を、武器のセールスに勢力を費やした様子が一層際立たせた。さらにその思いは、習近平が、中国は数千年の歴史に立脚していることをトランプに紹介したことを知り、「さもありなん」)との思いを抱き、次のように遂行させ、友人に届けさせた。

 「習近平総書記は、現近世界におけるリーダーの中では、「現状」だけでなく「未来のあるべき姿」を最も深く理解している人ではないだろうか。

 それが証拠に「習近平の思想」として「五位一体」をこのたび発表した。その五位の中にエコ文明が入っている。他の国のリーダーでこれまでにエコ文明を挙げた人はいただろうか。これに似た指摘があったとしても、それは工業文明の問題点の指摘であり、その改善策を論ずるにとどまっていたはずだ。それでは工業文明の延命策に過ぎない。

 習近平総書記はエコ文明を明示した。これは工業文明を意識してのエコ文明と見るのが順当であり、新しい文明を創出する必要性を呼びかけた、と見て良いのではないか。そう理解した私は、「五位一体」の5つ(経済、政治、文化、社会、そしてエコ文明)を、エコ文明と、残る4つを分けて理解すべき、と考えた。つまり、エコ文明の創出が目的であり、その達成のために残る4つの要素をバランスよく運営しようとしている、と見たわけだ。

 もしそうならスゴイことだと思う。とはいえ、達成は至難の業だろう。5年や10年ではなく、もっと多くの時間を要する命題である。しかも、易きに走りがちな民主主義国では成し遂げにくい課題ではないか。それが証拠に、アメリカでは、国民はかつてゴアよりブッシュを選び、今はオバマの足跡を消そうとするトランプを選んでいる。

 だからと言って、ぐずぐずしていたら時間切れになる。さりとて誰が問題解消に立ち向かえるのか。その役割を担いうる立場にあるのは誰か。このように考えてゆき、習近平総書記は、「私以外には考えられない」と思い至ったのではないか。

 そこで友人に、「エコ文明」の漢字表記を調べてもらった。たちどころに返答があった。それは次のような回答であり、上の私の憶測がまんざらではないことを示していた。

 中国は、今回の「五位一体」を打ち出す以前に、「三位一体:経済、政治、文化」が存在した。このたび「社会」と「エコ文明」を追加した。ようやく社会にとって何が大切か、エコは欠かせないという所にたどり着いた、と言えそうだ。「五位一体の仕組みは、経済が根本、政治が保証、文化が霊魂、社会が条件、生態が基礎」と定義されている。全人代で決められた数々の政策は、往々にして国民が理解や納得する前に強行施行となってきたが、今回も試行錯誤しながら進めてゆくだろう。ちなみに、「エコ文明」の中国語訳は「生態文明」である。つまり、人類が追い求める美しい楽園は、この地球以外にはなく、その大自然であることを忘れないようにしたい、ということだろう。

 だからこそ、今は客観的な見方や国際社会の監督と提言が必要になっている、と友人は締めくくった。

 中国は2049年に建国100周年を迎える。それまでに是非ともエコ文明を創出してほしい。一党独裁ゆえに許されることがあっていいはずだ。さもなければ地球がもたない。

 20世紀は、アメリカが世界の警察官たる役目を果そうとしてきたが、今やその役目を放棄したのも同然だ。むしろ逆に武器を売りまくり、戦争を助長している。21世紀は、誰が世界の警察官の役目を担うのか。担えるのか。興味津々だ」