対話ではときには事実を検証しあい、理解を深める機会にしたい。そこに多様性を見出し、互いの存在価値を認め、長い付き合いになればと願う。
この意味では日本語には欠陥がありそうだし、日本はその欠陥を助長する風土を作り上げてきたようなところがある。現総理はその権化のような人だ。事実に意見を振りかざして対応し、丸め込んでしまう。それに丸め込まれずに質そうとすると、また意見で反論する。
それが男性と女性の間で生じると、「可愛げのない女」「ウルサイ女」「コワイ女」へ進化してしまう。加計疑惑問題では、「一点の曇りも無い」という言葉が独り歩きした。現総理は、その言葉には「私の関わった範囲では」との発言者の前提が伴っていたが、それを抜きにして吹聴した。
そうした風土が生じさせたイライラを、当週は2度にわたり、2つ並べて、あるいは3つ並べて、朝日新聞は紹介した。なぜか私には、もはやつまらないことのように思われ始めた。
そこで、アイトワの理念の下に理念を意見風に改め、表示することにした。
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