ある種の謎
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なんといってもウキウキすることは、目に見えないモノやコトにどれだけ近づけるか、あるいは触れ得ないモノやコトをどれだけ実感するか、ではないか。 野口さんのお宅は文化財だが、そこでかつて開催された博物館のいわば出前講座のような企画展に招かれた。とても興味を引かれた出品物の1つが、野口家伝来の陣羽織だった。その家紋と思われる蝶の装飾から、織田信長由来もあり得る。自身がまとったか、あるいは論功行賞の品であったか。それはともかく、500年近くの時を経た品が、往時の輝きを保っていた。 それは、染料や顔料ではなく、鳥の羽根や蝶の鱗粉などにみられる構造色であるが故、ときかされた。この陣羽織は鳥の羽を丁寧に活かし、気が遠くなるような細工をほどこした代物だった。その鳥はキジかヤマドリか。あるいはカワセミかハトか。はたまた伝来のゴクラクチョウか。一種か多種か。 それを突き詰める担当をした人がいたはずだが、幸運にもこの日、館内巡りを始めて間なしにバッタリ出会う機会を得た。その折の3人(そうと気づいた野口さん、三橋主任研究員、そしてご当人)の驚きと振る舞い、交わされる言葉、そして時の流れなどを通して、多くのことが学べたような気分にされた。この館に流れる気風。館を形成する風土。あるいは館が織りなしてきた歴史のようなものが感じられた。学び取りたくなるリラックスの内に繰り広げられるゆとり。個と全体の調和、そして雑多と多様性の峻別が醸し出すゆとりと豊かさのようなものを感じた。 ファッションビジネスに関わっていた時に、「シナージズム」という屁理屈を打ち出したことがある。1年先、あるいは数年先を読まなければならない仕事だった。いかにすれば確度を高められるか。風が吹けば桶屋が儲かる、ではないが、サマザマなことを模索した。 医学界ではシナージーという言葉が用いられていたが、その効果にあやかろうとしたわけだ。生物は生きてゆく上で、常にバランスを正常に保つ必要がある。これが狂った瞬間を捉えて、病魔が襲うに違いない。ビクビクしていたら狙われる。無理したら襲われる。「それは困る」とばかりに、あらゆる生物は、さまざまな生体反応を生じさせているはずだ。その絶妙なる連動や協調などに私は興味をそそられ、「シナージズム・ファッション」を思いつき、打ち出した。 その要素に、虚栄心や劣等感、ストレスや平和ボケのような目は見えにくいモノやコトも含めた。そして、定点観測を願い、毎年40日にわたる海外出張も始めた。そこで得た確信のようなモノやコトにも突き動かされて、1年先や数年先ではなく、はるか未来のことまで読み取りたくなった。そのためには人類史を学びたくなった。ついに、一書にまとめたくなった。50歳手前だった。 思い切って、思うところを文字にしておこう。その思うところに沿って、残る余勢を過ごそう。ならば途中での反省と修正が楽だろう。その要がなければ、それはそれで良い。真の気楽に生きたい。その秘訣は「シナージズム」。個と全体の調和、そして雑多と多様性の峻別ではないか。 この「人と自然の博物館」の風土や、その風土を形成する目には見えない何かが気になっていたが、それが半ば解せたような気分にされた。よき1日になった。 そこで翌朝、確かめ直したものがある。なんとかして、その域に達したく願って見定めた「生きる指針」だった。この未達ではあるが目標「いわば1つの事実」が誘ったと思っているこれまでの足掻きは達成できた事実だから、ホンワカとした表現「いわば1つの意見」にまとめた一文を新たに加え、表示した。 このたびの衆議院選挙ではないが、ますますわが国の体制破綻は近づいているように思われる。それは2025年と見定めてきたが、それまで歯は持ちそうにないが、心臓は持たせたい。 |
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野口家伝来の陣羽織 |
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「いわば1つの意見」にまとめた一文を新たに加え |
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