多様なニュース
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かつてイスラエルを訪れた時に、エルサレムの旧市街を散策しておいてヨカッタ。神殿の丘に案内され、旧市街を見下ろし、奇妙な印象を心に焼き付けており、記念品を残し(ロフトに放り込んであっ)たことを、フト思い出し、取り出して眺め直した。このエルサレムをトランプがイスラエルの首都と認めた、と知ったからだ。 エルサレムの狭い旧市街にはユダヤ、アルメニア、キリスト、そしてイスラムの4つの地区があり、それぞれの教徒が住まい、穏やかに過ごしていた。10分も散策すれば、4つの民族衣装に身を包んだ人たちの姿に次々と触れる。古代ユダヤ王国の神殿の一部とされる嘆きの壁にも触れた。この4つの宗教は、それぞれエルサレムを聖地としていた。当然だろう、元をただせば同じ根から発している。 トランプは、いわば4人兄妹の一子のみを実子と認めるようなことをしたわけだ、との印象を私は受けた。そこまでトランプは紛争の種をまきたいのだろう。追い詰められているのだろう。 「業突く張り」に一旦権力を握らせると「ヤッカイなことになるものだナ」と、中間選挙が待ち遠しい気分になった。わが国にも、中間選挙がごとき、国民投票による、内閣信任選挙があればよいのに、と思った。トランプはムチャクチャだが、わが総理はデタラメもいいところだ。 矢部 宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』によれば、沖縄だけでなく、日本の領空はすべて、ただしアメリカ軍の軍属が住まう地区を除き、アメリカの軍用機は自由に飛べることになっている。逆に日本の飛行機は、アメリカの都合で制限されている。そうと知った時に、「言われてみれば」と、海外出張時などで受けていた「奇妙な航路を」とのいつもの印象を振り返ったものだ。この横暴をほしいままにする日本駐留アメリカ軍の経費を、人件費を除き、すべて日本が負担している。しかも自衛隊は、いざ実戦となれば、アメリカ軍の指揮下に入る。その実戦は、日本の国土や国民を守るためとは安保条約の何処にも記されていない。 このたびの沖縄でのへリコプタ-の部品落下を、現内閣はどのように追求するのか、見ものだ。「日本国民の生命と財産を守る」と首相はしきりには叫ぶが、肝心の「日本国民の自由を守る」とは口が裂けても言わない由縁を、また垣間見ることになることだろう。 NHK―TVの視聴料問題では、その支払を最高裁が義務化した。これは片手落ちだ。このままでは、過日首相は「読売新聞を読め」とプロパガンダ扱いしたが、そのうちに「NHK−TVを見てくれ」と言いだしかねない。その横暴を最高裁の面々は忖度したのではないか、と疑いたくなる。 アメリカの第3代大統領のジェファーソンは「新聞がなく、政治権力だけがある社会」と、「政治権力がなく、新聞だけがある社会」のいずれを選ぶか、と問われたときに、大統領の身でありながらが「後者を選ぶ」と答えたという。それが良識のある政治家の考え方だろう。政治家の良識とは、権力を私物化せず、自由を第一にして選挙民を守ることだ。 このたび中村敦夫さんが登場する雑誌が手元に届いたが、そのインタビュー記事でジェファーソンの考え方が紹介されていた。このインタビューはアイトワで行われたが、プライバシーを尊重して私は立ち合わなかったので、誌面で知った次第。 |
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つまり、権力を手に入れたジェファーソンは、「権力をチェックする機関」と「権力」のいずれかの選択を迫られたわけだが、「権力をチェックする機関」を選んだわけだ。権力の私物化こそ諸悪の根源、と見ていたのではないか。 最高裁は、このたびの判決を下すに当たり、次のような発効日限を付けるべきだった。つまり、NHKが権力に負け、プロパガンダのごとき扱いをされたり、「権力のチェック機関」としての役目を見失った事例が生じたりした場合は、視聴料の払い戻し義務をNHKに着ける。また、権力がプロパガンダのごとき圧力をNHKにかけた事実が判明した場合は、その権力をはく奪する。こうした法律が制定された日の確認をもって、施行する。 出張期間中のことだが、案の定、読売新聞や産経新聞では、森友や加計問題はこの世から消えたも同然になっていた。 この問題は日本国民の民度が試されている問題だけに、心配だ。朝日新聞や毎日新聞によれば、首相は辻褄が合わないこと許しており、失笑すべき茶番劇が続いている。まさに、権力の私物化の典型例だ。 首相は潔白であれば、潔白を証明する権力を有している。関係役人に、記録を提出させればよいだけだ。憲法では、役人が公職案件の記録を国民の財産として大事にすることを求めている。その義務を果たせと役人に迫るだけで済むことだ。潔白であれば、その記録が残されている。残すことを憲法は求めている。問題は、権力の私物化を願う政治家によって、憲法をないがしろにされていることだ。つまり、権力を縛る罰則規定を設けようとしてこなかったことだ。 罰則規定を作ってこなかったことをいいことに、記録を捨てましたとか、記録しませんでした、と役人がおっしゃる。首相は潔白であれば、烈火のごとくに怒らなくてはならない。記録することをサボッたり、記録を粗末に扱ったりした役人は即刻に左遷する権力を与えられている。左遷すると同時に、即座罰則規定を設けようとしなければならない。多数議席を有しているのだから、罰則規定をすぐにでも成立させうる。そのために与えられている権力である。その権力を私物化してはいけない。 現首相はそのまったく逆のことをしており、国民を国際的に「知らぬは国民ばかりなり」と言わんばかりの嘲笑や、同情の対象にしている。森友や加計問題を追わないメディアはメディアでない。少なくとも、メディアの役目を果たしていない。プロパガンダだ。 NHK-TVの『戦慄の記録インパール作戦』は、生々しかった。3週間で片づける予定の作戦で、補給を度外視していた。4か月後に中止したが、その後の戦死者が6割を占めた。それも飢餓と病死。 「日本兵同士でね、殺してサ、(一人でいると)肉を切って食われてしまう」との証言者も登場した。 険しい山あり谷ありの熱帯のジャングルを、トラックや重火器を分解して道なき道を運ばざるを得ない作戦であり、無謀と見る軍人もした。だが、「卑怯者、大和魂はあるのか」と面従腹背を迫った。従わない者は左遷した。従う者には勲章も与えた。 司令官と参謀の間で「どのくらいの損害が出るか」「ハイ、5000人殺せばとれると思いかす」との記録をのこした将官は、続けて「最初は敵を殺す数と思った」という。それは「味方の師団で、5000人の損害が出ることだった」と記している。司令官と参謀の間で頻繁に語られた言葉は「何千人殺せば、どこどこがとれる」であったという。 「産めよ増やせよ」と国は奨励されていた。その国民には自由をまったく与えられておらず、共謀罪法のごとき法律で縛られていた。国民の生命と財産は守られたが、兵士になるまでの話しであり、他の国民は、いざと言う時は受忍させられ、今もってまどわれていない。 イギリス軍の10時間におよぶ映像と日本の将兵や遺族の証言や日誌で掘り下げた番組だった。戦後も上層部はその責任に向き合うとはしていない、と特集はまとめた。 産経新聞は9日のコラム「余禄」で、前川前文部科学省次官の「座右の銘」を次のように紹介した。 「自らの座右の銘『面従腹背』を地で行く姿に慄然とする。時の政権に逆らわず、文部科学省のトップにまで上り詰め、高額の退職金をもらった後に『政治の判断』への批判を繰り返す前川喜平氏である。最近までトップを務めていた文部行政自体が怪しく思えてくる」云々。 おそらく氏は、退官するまでの日々の己の姿を自虐的に『面従腹背』と揶揄しているのだろう。座右の銘にしていたようだと反省しているのだろう。本心での『面従腹背』なら、それを地で行って、さらなる退職金の時期まで勤め上げ、その後は天下りを繰り返し、何億円かの退職金などの報酬を得ればよかったわけだ。それができなかったのだろう。 そもそも「国家公務員とは何か」。産経新聞は主権者を誰と見ているのか。「待てよ」と私は次に考えた。前川喜平氏は、主権者である国民に対する『面従腹背』がイヤになったのではないか。もしこの見方があり得るとすれば、氏は「国民を主権者とする国家公務員」だ。氏はいかなる行動にでるべきか。国民の税金で、過日まで禄を食んでいたのだから、主権者たる国民に、いかに今後は立ち向かうべきか。これも民度の問題ではないか。国民は、氏をいかに受け止めるべきか、と思案した。 14日に、高裁による伊方原発の運転差し止め判断を知った。この度の旅では福島原発まで1,3kmまで近づいていただけに、「ヨカッタ」と強く思った。夜の双葉町や浪江町も訪れたが、ホテルや新型のコンビニが誕生し、街灯と共に煌々と照明を輝かせていたが、民家は真っ暗で、森閑のごとし、不気味であった。「元は2万人だったが、4百人しか戻っていない」と聞かされた。 翌15日に、前川喜平氏が京都で講演し、300人の会場に700人が詰めかけたことを知った。 「私は政治と教育の間で四苦八苦してきた」と切り出し、2006年の教育基本法改正に触れ、「政治が教育を決めていいという考え方が盛り込まれたが、非常に危険だ」と訴えたようだ。「南京事件はなかったと教科書に書けという。それは歴史家が明らかにすべきことで、政治が決めるべきことではない」との考え方も紹介したようだ。これが主権在民の国家公務員の姿だろう。 そんなこんなで、頭はパニックになりそうだが、オカゲでわが家のお向かいのボッタクリに対して、あきらめではなく、どこまで人はおろかであるかを観て楽しめる段階にまで高めてもらえた。 「あと85日」「あと84日」と日めくり広告も店頭に出したことがあった。1月8日までしか入れないとばかりにヒトの心を急かす戦法を展開した。その終了日が近づくのを楽しみにしたが、敵もさるもの、早々と引っ込めた。販促効果がなかったのだろう。 「3000年、高いですね。お寺でさえ」と迫る人には「お寺なんかとは次元が違います」と応じる。問題は、「その次元」の解説を受けずに引っかかる人がいることだ。 これまでは、掃除をする道具を持たせているとはいえ、待ち伏せ同然のことをさせながら、「待ち伏せではない」と主張してきた。ところが、様子が変わった。椅子を持ち出して座割らせ、客待ちするようになった。くたびれるのだろう。アホらしくもあり、哀れにも思う。 |
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中村敦夫さんが登場する雑誌 |
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誌面で知った次第 |
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横山さんも交えて歓談を楽しめた |
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「あと85日」「あと84日」と日めくり広告も店頭に出した |
椅子を持ち出して座割らせ、客待ちするようになった |