楽しさが9日におよんだ出張、その1

 

 出張の主目的は、高崎商科大学で開催される「桑わんプロジェクトin群馬〜未来につなげる桑の味」に参加。桑の葉を活かした料理コンテストで、応募者に腕を振るってもらう競技。その指導と審査に当たる横山孝司シェフと京都駅で合流し、出かけることになった。

 「ならば」と私の願いで2つの付録をつけてもらった。コンテストを終えた4日目に、同大学での講義をした後、「群馬と言えば」とばかりに「富岡製糸所」を訪れることになり、3泊4日の日程となった。

 加えて私には、同方面に7日から2泊3日の出張予定があった。そこで、その間の2日を有効に活かしたくなり、久しぶりに8泊9日の出張になった次第。

 横山シェフとは初対面だったが、車中での話題は尽きず、意気投合。山場が2つあった。1つはきれいな富士山を観る前のことで、コンテストに彩りを添えるいわば相談だった。

 横山シェフは、応募者のレシピを事前に点検し、コンテスト前日の試技の指導と、当日の助言と審査だったが、応募者が選んだメニューと、そのレシピに関するご意見だけでなく、料理はズブの素人の私に、独自のアイデアも丁寧に説明してくださった。その合間に、「皆さんに楽しんでもらいましょうヨ」「そのためには、私たちも楽しまなくっちゃ」とおっしゃり、「料理は遊びだ」とお加えになった。私は白川静の「遊」の解説を思いだした、ググッと心惹かれた。

 エントリー数は14だが、同じメニューも選ばれていたので、その数は10ほどだった。横山シェフは、それら以外のアイデアをあげ、その特色などを縷々語って下さった。それぞれのメニューには食材が必要だが、どれか1つ選び、担当教官に予算を組んでもらい、試技を示したい、とおっしゃった。そのうえで、1つのメニューを選択するように私に迫られた。

 私は年の功のおかげで、名を先に挙げ、審査長のごとくに扱ってもらっていたからだろうが、もちろん横山シェフが主。だが、教員の経験がある私は「シメタ」と思った。横山シェフが「料理は遊び」とおっしゃったことも思いだし、次のような会話となった。

 「それぞれの食材は幾らぐらいかかりますか」『……』「〆て幾らぐらいですか」『……』「全部シェフに造ってもらいたい。材料費は全部私がもたせてもらいます」となった。

 2つ目の山場は、皇太子に振る舞った時の思い出だった。料理を5分間隔で出すことになっていたようだが、少し伸びると急かされ、7分にもなるケースが重なったときは役人に責められたそうだ。

 だが、皇太子は完食し、わざわざ礼を述べる機会を求めてもらえたようで、直接ねぎらわれたという。その時になってからの役人の振る舞いが、私の考え方に照らしても、良くなかった。

 私なら「ヨカッタですね、ハラハラしましたヨ」。それだけに「ご同慶の至り」と喜びを共にするところだが、その役人は違った。「責め立てたこと」をわざわざ詫びたという。

 高崎商科大学は瀟洒な学校だった。担当教官とゼミ学生の間合いと息は見事に合っており、心打たれた。当日は、早速食材の買い出しに出た。道中、学生に「あれが妙義山」と教えられ、榛名山や赤城山も望んだ。山並みの様子が、なだらかな京都とは違う。道の駅では旬の下仁田ネギのオンパレードだった巨大なコウシンダイコンに驚き、コンニャクの産地と知り、ヤマゴボウや干しズイキを珍しく思った。

 次いで、青岩のある川を渡って、桑畑を訪ねた。キジのつがいが飛び立ち、桑の枝がシカに襲われてポキポキと折れていた。神戸万吉商店の主に迎えられた。コンニャク芋と桑茶が主産物のようで、立派な事務所をかねた居を構えていた。なぜかほのぼのとした気分になった。この主は、桑の葉の粉の提供者であり、コンテストの審査員でもあった。

 学校に戻り、その後は横山シェフとは別行動になった。横山シェフと担当教官萩原準教授の計らいで、翌2日にかけて、陽のある間は、案内係の学生をつけて市中案内をしてもらえることになった。

 当日は碓氷峠方面に向かい、めがね橋で知られる碓氷第3橋梁を観た。1892(M25)年の建設で、国内最大のレンガ造り。次いでダム湖に案内され、「八ッ場ダム」を話題にした。「徳山ダム」を引き合いに出した。そこで引き返し、道中の変わり果てた宿場町や関所を見学した。

 案内の鈴木さんは、都市の観光化に興味を持っていた。それは高校時代の修学旅行で受けた印象にたどり着く。京都で、電柱の地下埋設街を歩いたという。「コンビニの色彩も異なっていた」と語った。まさに修学旅行になったわけだ。

 学校に戻ると、横山さんが指導するコンテストの準備作業が続いていた横山シェフの的確な指導ぶりと、その指導に従う学生の姿がとても微笑ましく感じられた。若い人たちともすぐに信頼関係を築ける人、と見た。

 夕食はホテル最寄りの居酒屋風食堂で主食に「切り込みうどん」を選んだ。ホテルには読売新聞だけが、ドサッと無料で積んで合った。朝食はバイキングで、3日共に和風を選んだ。横山シェフは、酒をたしなまず、ソフトな人柄だが、それだけに往年は厳しい人であったと思う。時間励行だった。

 このような人に「20年来の付き合いのように思えてならない」と学長に、私の印象を話してもらえたことが、なぜかとても嬉しかった。それは私の思いでもあったからだ。

 問題は、ヘビースモーカーであったことだ。私と同じく拡張心筋症を患いながら、時にはチエーンスモーカーのごとくになった。実それが、もう1つの問題を派生させることになったが、それは、月曜日のコンテストを終えた翌朝のことになる。

 日曜日は、一緒に学校に出かけたが、そこで別れた。私は温泉も紹介された県内見学に、横山シェフはエントリーした人たちの調理指導と試技に取り組む。

 

きれいな富士山

山並みの様子が、なだらかな京都とは違う

下仁田ネギのオンパレードだった

巨大なコウシンダイコンに驚き

桑畑を訪ねた

ダム湖

宿場町

関所

コンテストの準備作業が続いていた

横山シェフ