「中締め」の時

 

 この塾はすでに30年近くも続いている。よくぞ第4時代に興味を抱き、こんな勉強会を希望し、続けてきたものだと思う。今も世間では、習近平の「エコ文明」の標榜を「第4時代の開拓宣言」とキチンと捉えた意見には出会えないのに、このメンバーは30年も前から第4時代の予感を抱き、塾を形成し、掘り下げてきた。私にとっては1つの宝だった。

 ところがこのところ、足掛け3年ほどは、それまでの塾とはやり方が変わっていた。それまでは、拙著をテーマにしていたが、他の人の書籍を用いるようになっており、すでにある2冊を終え、次のステップに入ろうとしていた。

 問題は今後だ、と少し不安に駆られていた。これから求められることは、世界の未来をより真剣に推し量り、日本のあり様を深く掘り下げ、人間とは何かをとことん探り、生きる方向を見定め直す事ではないか、と思っている。そうした時期に差し掛かっているように思う。近く人間の定義さえが大きく変わりそうに見ているからだ。

 今から思えば許されないことだが、優生保護法がまかり通った時代さえ近過去にはあった。それと同じように、また何十年かしたら、「今から思えば許されないことだが」と言わざるを得ないことを、今の私たち工業文明国人は犯しているような予感がしてならない。

 この日の塾では、人類に大きな影響を及ぼした「清潔」と「照明」を野口さんがテーマに選び、野口さんのリードで進んだが、見事の進め方だった。ディスカッションが進むにつれて、自ずと「これまでの(私たち文工業文明人の)ありよう」で「よいのか」「悪いのか」という疑問に収斂していった。「イイゾ」「よいことだ」と私は心の内で喜びながら聞き耳を立てた。

 そうした時間の後で、「さすがは」と思う提案があった。塾のありようの見直しだった。多くの塾生が70歳を超えた。年金生活に入った人もいる。そうした条件の下で、新たな発展策はいかにあるべきか、見直してはどうか、との提言と見た。良いタイミングだ、と思った。

 その課程で、後藤さんが「反論できる勉強会に」との意見を述べ、とても私は心を打たれた。これまでの方式は、皆さんのディスカスを3時間近く聞いたうえで、最後に私が意見、補足、あるいは解説などを交えながら、当日勉強した意義をまとめ、それで終えて来たからだ。

 そこで私は「ここで終了」もあっていいのではないかと思う、とまず切り出した。実は、商社時代の仲間との集いで、しばしば考えさせられて来たことを思い出したからだ。あれほどまでに「時代の先兵」を自任し、毎月100時間もの残業を苦にしなかった仲間が、すっかり疲れ果て始めている。往年と同様に、地球の危機などが話題に上がるが、途中で腰が崩れてしまう。決まったように、私たちが「生きている間はもつだろう」で、チョンになる。この事例も塾生に話した。

 だから、「塾はここで終了し、同窓会のようなものにされてはどうか」。「もし継続するならば、『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』の再検証をしたい」と述べた。

 これまでに1度検証したが、その内容には修正したくなる点を見出せなかった。だが、あれから10年以上が過ぎている。この時の流れが、修正を要する事態を生じさせているかもしれない。こうした動かしようがないテキストを用いると、それに気づかせてもらいやすく、修正すべき点を明らかにしやすい。そうなれば同じ土俵に立って、「来たるべき時代」を考えることになる。ならば自ずと反論が有意義になるだろうし、その反論をテコに、ディスカスに熱が入るように思ったからだ。

 時代は緊迫しているように思われる。だから「望むところではないが」と切り出し、私が逆の立場ならば、と考えて、「希望者だけで継続する」という第3案もある、と補足した。

 思えば不思議な時空だった。利害得失上では何ら関りがない人が集い、数時間にわたって何ら利害得失上には関りがない話題に熱中してきた。もちろんこうした事例は山ほどあるだろうが、毎月1度、30年近くにわたって続いた、という事例は少ないのではないか。それだけでも宝だ。

 宝は宝として、私たち仲間の秘かな伝説にすべきではないか。異なる形にすれば、同好会ならまだしも、興味本位の集いと化しかねない。時が時だけに、それではマズイ。30年も前から「第4時代の予感」を抱き、その掘り下げに莫大な時間を傾けた仲間として、記憶にとどめたい。

 中村敦夫朗読劇『線量計が鳴る』京都公演の事務局を、やや強引に引き受けてもらったが、その決算報告をもって「有終の美」にしてはどうかと考えていたから、ちょっと寂しいけれど、ホッと胸をなでおろす気分にもしてもらえた。