薪ストーブを囲んで賑わった

 

 今関・藤井両先生との付き合いは古い。古さで言えば、この日初めて訪ねていただいた藤井絢子さんだ。ずいぶん昔、朝日新聞のコラム『くらし孝』で知り合った。幾名かが持ち回るコラムだった。その一人として私も加えてもらえたが、そのおかげだ。

 今関信子さんとの付き合いはその後だが、頻度や密度は断然上回っている。ある機関紙の編集委員としてもご一緒した。それも縁で、岡部達平さんの活動が一著になる折に、少し関わらせてもらえた。また、たくさんの著作も読ませていただいてきた。

 そのようなわけで、薪が燃える炎のやわらかさや暖かさ、それにもまして、ただよう香が誘う安ど感に促され、随分話が弾んだ。お二人のお土産にも心が和んだ。今関さんは、ドサッと私が未読の著作を持参して下さった。藤井さんは「菜の花プロジェクト」の全国展開で、多方面に赴かれているようだ。さまざまなリンゴと洋ナシに、「半分こ、したの」と言ってカステラを添えて下さった

 お二人の土産を手にしただけで、私の頭の中はさまざまな反応を始めた。「まず、これから(読みたい)」と目論んだり、「これは、あの子にも読ませよう」とその時の様子を推し量ったりした。「今年は、カステラに恵まれたなあ」と喜びもしたし、リンゴとカステラを「どう並べて」と、写真の収め方でもワクワクした。

 4人分の茶を運んできた妻は、小さな2つのリンゴに目を付けた。ニュージーランドの友人が、庭で似たようなリンゴを育てていたが、それを思い出したようだ。一緒にジャムを作った。

 話題はあちらに、こちらに、と賑わったが、心に強く焼き付いた指摘があった。大きくこころ膨らませた私の風船が、パチンと裂け散ったような藤井さんのご指摘だった。

 それは半月ほど前の昼下がりだった。このたびの3・11被災地の偵察は、いわきから相馬まで常磐自動車道沿いを駈け廻ったが、その途中でのことだ。白鳥が群がって飛来していたので喜び、走っても走ってもつきないメガソーラが設置されており、安堵した。ところが、その安堵を危惧に一変させるご指摘だった。藤井さんも、ハクチョウが群がる光景をご覧になっていた。

 「森さん、あれは地元が設置したんじゃないのですよ」とのご指摘だった。「また、東京資本に美味しいところだけ吸い上げられてしまう地方、の構図か」との思いに打ちのめされた。

 2人を見送り、その後はスロープ階段の防草舗装に精を出す日々が続いた。「ひと雨降ってほしいな」と思った。秋には梅雨のような雨が続いたが、このところは水不足だ。だが気持ちよい快晴にはあまり恵まれなかった。

 わが家は今年、ソーラー発電機を設置し直した。その時のことを思い出し、ゲスの勘繰りをした。「1kw48円で買い上げてもらえる期間内は」、とか、「その後は一転して」何分の1かに買取り価格が下がり、「その後は」との奇妙な話を思い出したからだ。

「あのメガソーラーは、48円で買い上げてもらえる間に相当の償却を済ませてしまうのではないか」「その後で地元が、手を出そうとしても、採算上競争にならない」


 

今関・藤井両先生との付き合いは古い

今関さんは、ドサッと私が未読の著作を持参して下さった

リンゴと洋ナシに、「半分こ、したの」と言ってカステラを添えて下さった