出張のメモ、その2
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12月2日(日)初めての群馬県出張の2日目。9時に高崎市の公民館に到着。調理室では、前日桑畑で(横山シェフの提案で)採取した桑の葉が水に浸してあった。私はその効果について否定的な意見を述べたが、思っていた以上にエキスが出ていた。私は、山羊を飼った経験から、「枯れ草」と「青い間に刈り取って乾燥させた葉」では、含有成分が大きく異なっているはず、と話した。山羊は前者を食べなかった。だが、試してヨカッタ。青葉でとって干した分で再実験がしたくなった。 横山シェフと萩原準教授は「土産に」と、桑の実のジャムに加えて、この「桑の葉エキス」で作った清涼飲料水も下さった。足湯で汗を吹かせた後で飲み始めたが、気分が良い。この成分もいずれ分析されるに違いない。 やがて三々五々に、翌日のコンテストにエントリーしている人たちが集まり始め、横山シェフの指導が始まった。ここで私は別行動をとることになっていた。担当教官が指名した学生・鈴木君の運転で、市中見学に出かけることになっていた。鈴木君は、横山シェフと担当教官の萩原準教授の助言を得ていたようで、「県央エリアの伊香保に案内したい」という。有名な温泉があるらしい。 私は「郷土資料館のような施設」の見学を希望していると述べ、観光マップ(出掛けにシェフにもらった)を取り出したが、見当たらない。鈴木君は「聞いたことがない」という。 この時になって、群馬には古墳が多くあり、古代から栄えてきた土地柄だと知った。丹後()と違って朝鮮半島から遠いし、海に面していない。古代は蝦夷地ではなかったか、と思っていただけに意外だった。本州では、最古の旧石器が群馬県で発見されている。前史の時代から栄えていたのだろうか。世界記憶遺産にふさわしい上野三碑(こうずけさんぴ)もある。仏教や文字の広がりや、律令国家の支配体制を知る上で貴重な資産だ。「待てよ」と好奇心を沸かせた。 草津などの温泉と、絹を始め織物産地程度に見ていた私としては恥じ入るばかりだった。 まず県の西を目指し、「碓氷第3橋梁」を訪ねえることになった。さらに西北西に進んでゆけば草津温泉だ。なんだか群馬が身近に感じられ始めた。 前回の出張報告その1では、前日見たように記したが、間違っていた。この日の最初の訪問先だった。左手に妙義山を望みながら高速道路を走り、「山並みが京都とは随分違う」と、遠望したことを思い出し、メモを繰って確かめた。 車中で鈴木君から、群馬はコンニャクの産地であり、温泉饅頭発祥の地であり、だるまが最初に作られた土地でもある、などと教わった。言われてみれば、公民館にさまざまなダルマが飾られていた。 「めがね橋」(碓氷第3橋梁)は西武エリアにあったが、そこから旧道を走り、県央エリアの伊香保を目指すことになった。途中で鈴木君は面白い所に立ち寄った。人形作りの名工が経営する観光名所だ。日本屈指の人形作家であり、その作品に倒錯感を抱かされてきた人がいるが、その作風を学んだと思われる人が運営する今や1つの観光スポットだった。その作風を真似た形になっており、やや奇をてらったこけおどし風になっていたが、それが人気の秘密と思われた。写真は、指定されたところしか許されない。 伊香保に近づくにつれて、竹久夢二の文字が目に付くようになった。アトリエを構えていたようで、現存するという。竹久夢二美術館と読みとれるような表示もあり、是非とも見たくなった。 鈴木君は私のうどん好きを宣告承知で、先ず昼食は、と有名店に誘われた。創業者が岡本太郎のファンであったようで、岡本太郎オンパレードのうどん屋だったが、うどんは美味だった。 温泉はパスして、公民館に戻りたいと所望したが、これだけはとのススメで、伊香保の温泉街の威容を観るポイントまで踏みこみ、ヨカッタ。そこで折り返し、帰途赤城の山を望み、竹久夢二の作品と触れた。赤城山は、山裾の広さでは日本1と言う。父ゆずりの任侠好きの私は、父が好んだ廣澤寅蔵の浪花節を思い出し、ググっと群馬が身近になった。 なぜこの地を竹久夢二が好んだのか、との思いを馳せながら、作品を見て回った。保科美術館の一角にあったが、三越百貨店との深い関係が強調差されていた。百貨店は工業文明のオトシゴであり、贅沢の民主化装置と言われる。その時代性が生んだ夢二の作品は大正エログロナンセンス時代を彷彿とさせた。 公民館に戻ると、調理室では桑の葉の粉がさまざまに活かされた料理が生み出されていた。ご飯に混ぜる。小麦粉に混ぜる。煮汁に混ぜるなど。横山シェフの心意気と人柄が室内にあふれ、嬉々とした人たちの息遣いが伝わって来た。レシピの点検と指導に始まり、料理法のノウハウなど懇切丁寧な助言はもとより、調理人としての心構えまで伝授しようとする熱意に心打たれた。 夕食は群馬名物の1つ、釜飯を賞味した。市中には釜飯の専門店や食堂がある。 いよいよコンテスト当日となった。公民館には公演などに用いる階段教室があり、高校生のエントリーチームなどが集まっていた。やがて学校案内で見知っていた学長もご到着。即座に挨拶を交わしたが、その人となりにすぐさま惹きつけられ、さまざまな話をすることになった。やがて審査員がそろった。2人の高校生。前日訪れ、顔見知りになっていた桑畑の持ち主。学長。そして私。 審査員は、採点のありようについて、横山シェフとこの企画の立案者でもある萩原準教授から厳格な説明を受けた。背がピンと伸びるような思いがしたが、それはこの2人の綿密な計画と、この日のために準教授が取り組んできた想いや努力の積算がにじみ出ていたからだと思う。事前に私は2度訪ねてもらい、構想から相談相手にしてもらっていた。 いよいよコンテストが始まった。持ち時間は1時間で、2班に分けて行われた調理の競演だった。単独でエントリーした人、仲間連れで、あるいは2つの高校からチームを組んでと、挑戦し手様々な調理に挑戦した。 採点者として公平に努め、丁寧に観察した。参加した高校生チームの2組は、揃いのエプロンなどすがすがしいいでたちと、引率教官の慈愛にあふれたありように心惹かれた。 審査は厳格だった。横山シェフと萩原準教授の性格だろう。表彰式で発表された結果に参加した誰しもが納得したに違いない。高校生チームは共に選に漏れたが、1つの高校チームに急遽特別賞を萩原準教授は与えた。横山シェフと相談の結果だろう。これもヨカッタとおもう。 審査員としての意見発表を命じられ、持論に沿って、早晩あらわになりそうな食糧危機問題や、世界には8億人以上もの飢餓状態の人々がいることなどを枕にして、「私は桑の葉を食料問題の一助と睨み」審査に当たった。「糧飯」という言葉もある。未病のためにも活かしてほしい。こうしたことを語ったように思う。 表彰結果に不満はなかったようで、また催しの進行にも満足度が高かったようで、記念撮影は賑わった。とりわけ、選にもれた高校生チームを引率した教諭が、高校生を壇上に立たせ、記念撮影する姿に心打たれた。きっとすべての参加者が、このささやかな試みが投げかけた大きな意義を見出していたに違いない。 この夜は、打ち上げパーティーが用意されていた。テーブルは2つに分かれたが、愛煙組と禁煙組で分かれた。うまい具合に、下戸の横山シェフと萩原準教授は愛煙組で、私は禁煙組でただ一人のロートルとなった。若くて元気な大学生が主であり、料理の数とその量に圧倒されたが、地酒自慢にはもっと圧倒された。群馬は酒もうまい。翌朝は、講義が待っており、学長も参加するとおっしゃったことを思いだし、自生するのが一苦労だった。 旅はあと4日残っている。富岡製糸場見学や湯元での温泉も待っている。 |
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調理室 |
桑の葉エキス |
碓氷第3橋梁 |
さまざまなダルマ |
こけおどし風 |
伊香保の温泉街の威容を観る |
赤城山は、山裾の広さでは日本1と言う |
作品を見て回った |
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ご飯に混ぜる |
煮汁に混ぜる |
嬉々とした人たちの息遣いが伝わって来た |
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釜飯の専門店 |
高校生のエントリーチーム |
単独でエントリーした人 |
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2つの高校からチームを組んで |
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引率教官の慈愛にあふれたありように心惹かれた |
記念撮影は賑わった |
記念撮影する姿に心打たれた |
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愛煙組と禁煙組で分かれた |
地酒自慢にはもっと圧倒された |