未来志向の教育問題まで
 

  30年前の拙著『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』がキッカケで、すべての拙著に目を通した下さった人の案内だった。経営戦略やプロジェクトマネージメントなどの専門家で、中国オフィスもお持ちだし、大学での非常勤講師にもあたるという幅広い行動家だ。その顔なじみが、剣玉を「名刺代わりに」とおっしゃる方を連れて来てくださった。話は弾んだ。

 なぜ剣玉との名称になったのか。発祥は16cのフランス貴族の遊びにさかのぼると知り、想像した。ヒョットしたら、退屈しのぎの若者が、ジャガイモなどを放り上げ、剣先で受け止めたのが始まりではないか。もちろん、こんなことを伺う時間を惜しみ、未来志向の喧々諤々を楽しんだ。

 主たる話題は「これからの世の中」だった。たとえば、昨今のわが国の教育は、大丈夫かなど、いわば取り越し苦労をしあったわけだ。戦中の教育そっくりになって来た。戦前は、武力戦争(を賛美し、特攻精神を刷り込む)要員育成に特化していた。今は、経済戦争時代だから、経済戦争要員の育成に特化しているように見える。それで良いのか。大丈夫か。

 工業社会や資本主義は矛盾が露わになっており、先行き不透明だ。衆愚政治をのさばらせている。そうした片時の時代が求める要員の養成で、望ましき未来を切り開けるのか。若者の人生を保証できるのか。敗戦直前に、予科練に入り、墨汁だらけの手のひらにしていた従兄を思い出した。

 日々カッターのオール漕ぎで、豆をつぶし、木綿糸で縫い付け、墨汁を塗っていた。さらに年上だった大学生(後年、義兄になった)は、早期卒業し、志願したかたちで特攻隊要員にされ、赴く直前に敗戦。結局、とても良き日本人で終わってしまった。

 この月初めは、福島を縦貫する道沿いに走り、その印象を帰宅後に語り、私たち日本人のありようにいたく反省した。この週末は、TV録画の消去作業で 「戦慄の記録インパール全記録」や「激変する世界ビジネス脱酸素革命」を観直し、日本のありように砂をかむような想いにされた。これで、新時代を切り開くごとができるのか。

 昨今の学生は、未だに就職は大手志向であり、まるで特攻志願のごとくに見えかねない。それが証拠に次々とビジネス戦争で撃墜されている。大手企業の内部留保は400兆円を超え、役員など幹部の所得は格段に増えた。だが、平の給与は下がり続ける、生殺し戦法に見える。

 これを私は全面否定していない。むしろ肯定だ。問題は、そこで何を学び、「転換に要するバネ」をいかに授かり、活かせるまでに広く深く突っ込み、実戦で検証できるのかが課題だ。その蓄えた力を、創造豊かな力に自主的に内部醸造させることが求められている。

 そうした想いを胸に秘め、喧々諤々に加わったが、面白かった。

 それもこれも、この日本で改良・完成されたと聞いた剣玉のおかげ、と言ってよいだろう。かくなるブームを呼んでいることが、喜ばしいし、たのもしい。いわばその仕掛け人と、その効能をさまざまな角度から語り合えたわけだ。話は前頭葉など、脳みそにまで広がった。

 脳と言えば、『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』では30年前に、脳にメスを入れている。その道の権威の指導を受け「森サンなら書いてもよいでしょう」と背を押され、ファッションビジネスでの経験も活かし、記したことがある。今の「フリーダム」ト「リバティ−」の峻別であり、「欲望の解放」から「人間の解放」への提唱の始まりだ。動物共有の「トカゲ脳」と人間のみが有する部位を「人間脳」と呼び、「第4時代到来」に話しを結び付けた。

 問題はこれからだ。私は中国での習近平の「生態文明」に期待している。その反面では、EUと離別した英国が、産業革命に次ぐ革命の旗手にも名乗り出るのではないか、と予感もある。

 中国オフィスを持つこのたびの客人は、現状の中国を見る限り「生態文明」は夢のまた夢に終りそうだ、と予測だった。私は、人類の端くれとして賭けている。

 エコロジカルフットプリントの考え方に従えば、世界中のすべての人が今のアメリカ人並みの生き方を真似るには地球が5つ、日本人並みなら3つ必要になる。私たちは1つの地球で生きているから、工業文明人の地球に無理を強いている生き方に甘んじているわけにはゆかない。

 現実に、今年(2017年)のアース・オーバーショート・デーは8月2日でした。つまり、地球上の植物が1年間に生み出す再生可能資源を、人類はこの日までに消費し尽くした計算だ。利子だけで生計を成り立たせている人に例えていえば、1年分の利子をこの日までに使いつくし、8月3日以降は元本に手を付けていたことになる。この日が年々早まっている。

 何とかして私は、14億人の中国人の決意に期待したい。いや、14億人の中国人を誘いうる人に期待したい。ご両人と、再会を約して見送った。

 その後の読書で、「そうであったか」との思いに駆られた。たとえ一人であれ、「このような人がいた」と言うことをいることで、救われたような気分になることがある。その意味で、この一書を読み出したが、予期せぬ認識の糧になり、一読してヨカッタった、と思うにいたった。

 なぜ、今度は死んで来い、とまで言われながら生き、敗戦後も92歳まで生きおおせたのか。そもそも特攻とは何だったのか。そのどす黒い智慧の一面を透かし観る糧に、あるいはヒントになったように思う。

 特攻は、あくまでも個人の志願で行われたようにする必要があった。敗戦後も生き残ろうとする責任者の、2重の保身であった。先ずは、直接的な攻めを受けないため。誰の目にも敗戦は明らかになっていたにもかかわらず、なぜ自殺行為につかせたのか、と責めから逃れるため。次は、その責めは次々と責任転嫁に走らせるだろうが、どこに行き着くのか。その恐れを断つため。さもなければ、自分たちがよって立つべき体制を護持できない。

 このようなことは小さい。生きとし生けるものを巻き込み、人類は緩慢なる自殺行為に歩を進めている。それがなんとか止まってほしい。そうしたおもいで、福島などからの帰宅後、幾人か、幾グループかの仲間と語りあった。その幾例かではアイトワ塾の仲間との会話のようには話は進まず、砂をかむような思いもした。

 「理想は分かるが、理想は理想だ」
 「電機はいるだろう」
 「ならば、安い方がよいに決まっている」
 「作ってしまったものは、使わなくては」

 ここまで来た時に、NHK-TVの録画を思い出したが、次のトドメをさされ、青臭い自分が打ちのめされたものだ。

「穏やかに行こう。ギスギスせんでも、ワシらが生きている間はもつぞ」
  
日本で改良・完成されたと聞いた剣玉

NHK-TVの録画