『アイトワ12節』の編集

 

 当初は、中国人向け『アイトワ12節』として編集にとりかかったが、英訳を頼んだリズさんと、中国訳を引き受けてもらった劉穎さんのおかがで編集方針を大転換した。
 
 元の私の原稿で「今年」となっていた部分を、リズさんは「2017年」と訳していた。今年に入って編集打ち合わせをしたが、劉穎さんに「リズ先生は、そう訳されていますよ」と教えられた。その方が賢明だ。と同時に、末尾に追加する予定であった小文「中国人へのメッセージ」の見出しを、「未来がほほ笑みかける生き方」としていた自分にも気付かされた。

 この小文を部分的に改めて、巻頭に移動すれば、私が『アイトワ12節』を作る気持ちになった意味を明確にできる。「その方がよい」と分かった。劉穎さんは、そのことに先刻気づいておられたようだ。リズさんも「日本のお父さん、どうしてそうしないの」とやきもきしていたに違いない。

 というわけで、中国人向け:『アイトワ12節』を、文明国圏のすべての人々に向けた3か国語の『アイトワ12節』に改めることになった。それでこそ、リズさんと劉穎さんに心を込めて翻訳してもらった値打ちが出る、というものだろう。

 世界の2大国が、覇権を競い合い、地球をつぶしあうようなことに結び付けてはならない。逆に、2大国が「『工業文明』の問題点」が、両大国の、いや工業文明国圏の人間の、ひいては生きとし生けるものの共通の敵であることを認識し、手を携えてほしいし、手を携えたい。そして「未来がほほ笑みかける生き方」を創出したい。その調整役や促進訳を買って出てこそ、わが国の立場がある、というものだ。

 あえていえば、わが国があみだした江戸時代の知恵を、世界中に普遍させる知恵に次元をあげればよいことではないか。この古人の知恵と、近代科学が生み出した成果をうまくかけ合わせれば、成し遂げ得るに違いない。成し遂げなければならない。

 それは、人間が持ち得た脳が、大きいだけでなく、特殊な脳であることを自覚し、その活かし方を改める必要性を意味している。まず、「工業文明の問題点」はあらゆる動物が共有する欲望を人間だけが解放し、制御することを忘れていたことの気づくことだ。言葉を変えれば、工業文明は「欲望の解放装置」であったと自覚することだ。これが、諸悪の根源であり、今日の気象変動にまで結び付けている。

 この事実を素直に認めずに、2大国の覇権を競い合いに巻き込まれ、日本はそのいずれかにくみして延命を図る、なんて程度の姑息な国で終わってよいのか。もっと良い手があるに違いない。

 その提唱がしたくて私は「物書き」になったのではなかったか。そのように気付かされ、私は1988年の一書を振り返った。と同時に、この気づきもアイトワ塾の有終の美ではないか、と思った。

 岡部長生さんと野中健二さんを改めて偲び、次いで友人の苦境を電話で知り、さらに、初の検診で赤ランプがともり、バチが当たりそうな心境にされたわけだ。

 時は今、白菜、キャベツ、大根、そしてレタスなど冬野菜は昨年価格の2倍になっている。わが家の食卓は自然生えのアイトワ菜のお浸しや炒め物でオンパレードだ。