8日にわたり延べ20時間はかけた
 

 わが家の倉庫などに残っていた既製部品を8種100点ほど持ち出してきて、「望みとするフレーム」を頭に描きながら、もとより設計図など描かずに作り上げた。狭い空間だが、坂地であり、80p程の落差部分もある。「望み」と、既製品の寸法と形状を、現物合わせのごとくに当たりながら、造りあげざるを得なかった。

 まず3日にわたり、3度組み立てようとて足掻いた。ひずみが出たり、好ましくない形になったりして、足掻いた。その都度、無理をせずに中断して、一夜置くのが私の流儀だ。

 AIなら、簡単に計算できるのだろうが、私にはできない。そもそも、私は「モノサシ」など用いずに取り組んでいる。私も生物由縁の暗算装置なら、人並みに備えているはず、と信じており、それを頼りに取り組み通した。そのために編み出したのが私の流儀だ。

 妻は、不愉快な、あるいは面倒な問題は後回しにしがちだ。私は逆に「先回し」にする。課題や難題の何たるかを頭に入れると、妻は眠りにくいからといって後に回す。私は逆に、先に頭に入れておかないと気になるから頭に入れる。「山より大きなシシは居ない」と思っている。

 先に頭に入れて眠るのと、入れずに眠るのとでは差異が生じることが、経験則で分かるようになった。きっと、寝ている間に、気付かぬままに、脳みそは勝手にあれこれ考えているのだろう。それが証拠に、脳は勝手に夢を見させるではないか、と考える。

 この流儀で、8度にわたって100ばかりの既製部品と取り組み、このたび完成した。先に植えてあった4本のブルーベリーの成木と、土地の形状と、周りの造作物の都合に合わせて、あれこれ組み立て直す時間は夢中だった。真の「遊び」に没頭した一時、であったようだ。

 成果は、年に1.5kgほどの実だけではない。いかなる汎用型AIロボットであれ、この真似は出来ないだろう、との想いだ。