自己紹介グッズ
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前回の来訪から随分時が経過したが、その訳が分かった。1つは、彼女はスロバキアを訪れていたことだ。そこで3人目の恩人(になりそうな人)と巡り合っていた。2つ目は、新たな大作に取り組んでしまったせいだ。加えて、このたび、他にもう3つ分かった、というより知り得たことがある。それは、まず彼女とチェコやスロバキアとの接点である。次いで、チェコやスロバキアという小国が、強国に翻弄されながら、生き抜くために傾けた知恵のようなものだ。そして、油絵を専攻していた彼女は彫刻に鞍替えしたわけだが、そのキッカケを作ったという私の当時の心境である。 まず彼女は、彼女を世に知らしめようとした日本人と巡り合っていた。彼女の作品は、彼女のココロが命じるままに生み出したものであり、「モダーンプリミティブ」と言ってよいだろう。それだけに、その真価は既存の感覚では容易に受け入れられ難い一面がある。だが、その人は受け入れており、自ら経営する美術工芸品のブティックで紹介し始めた。そもそも、その人も、チョットしたキッカケで、勤め人から美術工芸品ブティック経営に鞍替えした、ようだ。 2人目との巡り合いは、この美術工芸品ブティックで生じた。その名を日本でも知られたスロバキアの画家○○が訪れており、そこで彼女の作品を目にしたのがキッカケだ。彼女はその人に誘われるままに1年3カ月にわたってスロバキアに留学した。彼女は前回の来訪時に手土産として一冊の絵本を持参したが、その挿絵家であった。 彼女は、このたびのスロバキア訪問もこの人を頼ってのことであり、そこで3人目の恩人となりそうな人と巡り合った。○○の作品も取り扱っているスロバキアの美術工芸品ブティックのオーナーである。そのブティックに既に彼女の作品が並んでいるだけでなく、そのブティックで個展を開かないか、とそのオーナーに声をかけてもらっている。 2つ目の遅れた訳は、新たな大作に取り組んでいたためだが、それは私にも半分の責任があった。私たち夫婦は彼女の作品を買い求め、「売約済み」と表示してアイトワで展示したが、その側に彼女のプロフィールを飾っておきたかった。その要請に応えようとして彼女はとても手の込んだ作品作りに取り組んでしまった。「なるほど」と私は得心した。まさに彼女にしか創出できない彼女の表現であり、彼女のプロフィールだろう。この作品を観れば文字が読めない人にも彼女の人となりを推し量れそうだ。とはいえ別途、文字や写真で構成するプロフィールを作り、届けるように再度求めた。 楽しい一時だった。小国スロバキアと小国チェコの事情にも少し明るくなった。スロバキアは操り人形大国であり、チェコは絵本大国であった。両国は、強国ドイツやロシアなどに翻弄されながら、チェコは絵本に、スロバキアは操り人形に活路を見出していた、と見てよさそうだ。チェコは、挿絵を添えた書籍を世界で最初に輩出した国だし、スロバキアは操り人形の最先進国らしい。共に、鬱積した想いを晴らすために挿絵や操り人形を活かしたようだ。 かつてスロバキアは言語をドイツ語に改めるように強要された時代にあったそうだが、操り人形劇では母国語を用い続けられたという。母国語を後世に引き継がんとしての智慧だろう。 こうしたことをと知った時に、チョッと私は鼻を高くした。彼女は最初の来訪時に、彫刻に鞍替えしたキッカケを教えてくれたが、その謎が解けたような気分になったからだ。ある時、私は教室に1つの操り人形を持ち込んだらしい。その時の心境がよみがえったような気分にされた。 おそらく形態論の授業であったのだろう。それは、妻が手に入れたスロバキアは操り人形だったが、なぜ私は教室に持ち込んだのか。その謎が解けたような気分になった。彼女が操り人形を原点としたような彫刻に方向転換した心境と、スロバキアの人たちにとっての操り人形の存在を知るにつれて、当時の私の立場や心境を推し量れたような気分になった。 きっと私は、その操り人形にただならぬ何かを感じ取ったのだろう。若き感受性に期待する私は、そのただならぬ何かを直に伝えたかったのだと思う。 |
手土産として一冊の絵本 |