マクロビアンの半断食道場

 

 1週間を充実した気持ちで過ごせた。所期の3つの目的がほぼ果たせた上に、これまで知り得なかった偉人に触れたおかげだ。その偉人とは売茶翁(ばいさおう)。

 昨今「若冲人気がいっこうに衰えないが、『売茶翁なくして若冲(33)なし』と言われるこの人のことを、これまで私は知らなかった。この2人は、売茶翁が74歳の時に、33歳の若冲は触れており、若冲は大いに感化されたという。売茶翁は高名な僧侶であったが、出家に出家を重ねたようにして、変った風袋で流人のごとく茶店を開き、集う人に自由闊達な論議を仕掛けたという。

 先鋭的な考え方や言動は狂人か奇人のごとく見られがちな当時にあって、まさにその狂人か奇人の勧めを説いたという。いわゆる個性発露の推奨である。その勧めに若冲も大いに感化されたのだろう。私流にいわせていただければ、まさに「人間の解放」を説いたように思われ、無性に心惹かれた。

 所期の3つの目的とは、持参した2著を丁寧に読み進みながら、67kg近くになった体重を落とし、63kg台にするだけでなく、認知症対策に思いを馳せることだった。

 持参した2著は、ダイエ−の崩壊を見届けた人の一著『戦う商人 中内功』と、『進化論物語』だ。前者は、工業社会が可能にした事業(いわば工業社会のあだ花)の「終わりの始まり」の1つの記録と見て、後者は、工業社会化の最中の欧州にあって、世情をにぎにぎしくした進化論のありようをつまびらかにする稀有な書と見て持参した。両著から、新事実を知ったり巧みな技術を学んだりするのではなく、私なりの覚醒の書として読ませていただこうと思ったわけだ。

 3つ目の願いは、網田さんと私(最高齢の参加者)が、ロードワークの時間に別プログラムを取り入れることを許されている点を活かした次第だ。あくまでも、網田さんと私の体調調整(とりわけ血液の浄化と、消化器の状態改善を実感できる)と減量が目的だが、飛鳥での1週間が3度目故に加えたわけだ。網田さんや私のような立場の者が、マクロビアンの半断食をより有効に活かす策を考えたかった。いつしか私は、このマクロビアンの半断食道場に、認知症予防を期待するようになっていたが、その想いを形にするプログラムを工夫して、試みてみたかった。

 何せ、会場は古代人が都として見込み、住みついたところだ。カマキリの産卵場所や、蛍が羽化すために選んだ場所を探るだけで、その年の雨の様子を予測できると聞く。いわんや古代人が都を築くに至ったところには学ぶべきことが多々あるに違いない、と思う。古代の人が安住の地として見定めた由縁を探ろうとすること自体が、脳を活性化し、この願いをかなえそうに思われた。

 飛鳥の名勝旧跡は先の2度でほぼ訪れていた。だが、幸いなことに、NHK-TVが最近、蘇我馬子暗殺の真実に迫る番組を放映した。「シメタ」と思った私は、この番組にそくした新道標が、つまり観光の新しい目玉として位置付けた用意がなされているに違いないと期待した。役場は取材協力に応じたはずだから、当NHK番組を紐解き、その裏話も加味するなどして、新たな観光資源として活かして当然だろう。そう思って出かけたわけだ。だがこの願いは期待外れだった。

 役所を訪ね、探りを入れたが、その応対は期待外れだった。一刻も早く汎用型AIロボット時代が到来し、少数の優れたプログラマーとロボットだけの役場になることを期待したほどだった。

 やむなく、天候に恵まれたことをいいことに、飛鳥寺からを始まる近郊田園地帯を歩み始めた。その道すがら、わが国初の時計(水時計)があった跡などさまざまな新発見があった。駅の道のごとき施設では近郊野菜の様子も探った。一帯の畑地の一角で「これは」というイチジクの木の育て方も学ぶことができた。すぐさまわが家でも採用することにした。

 2日目。網田さんが急に腰痛を発症。前日よりさらにルートを近郊に絞り、新たな道をさまようことにした。下半身の病気に効くという弥勒石との地蔵に行き当たったり、飛鳥京跡苑池のそばを歩んだり、さまざまな野草を楽しんだりした。常に、網田さんの腰痛が発症しても、心臓の悪い私にでも救援策が講じやすいことを意識したわけだ。それが私の体調改善のためにもなる。

 翌朝、腰痛が治まったという網田さんの声を聴いて、「ならば」と、甘樫丘((蘇我蝦夷の邸宅があった)を登るルートに挑戦することにした。その道すがらのこと、幸か不幸か丘に登る前に、「丘を登る自信がない」と網田さんが不調を訴えた。腰痛の再発だ。そこで、一旦は投宿施設に引き返したが、これも幸いの1つにした。別プログラムを思案する好機と見た。

 網田さんに車を出してもらうプランを思いついたが、それがヨカッタ。かくして、3つのルートを開発できた。いずれも、車で10分から15分ほど遠出をして、その先で好きなだけ疑似ロードワークに当たる候補地の開発だ。それは途中で不具合が生じても、いつでも容易に車に取って返し、道場に戻れるルートの開発だった。

1、特別史跡「キトラ古墳」と「四神の館」:健常者にとってはロードワーク程度の距離にある。いざという時の送迎がとても容易。この石室内の天井に描かれた天体図は、北極を中心とした円形の天文図だが、現在最古の本格的な中国式の天文図だ。まずここを訪れたが、思うところがあり、次の2つに思い至り、手を出した。

2、今井町:車で15分ほどの先にある「重要伝統的建造物群保存地区」。戦国の世に建設され、江戸時代に栄えた環状土居で囲まれた歴史的施設。観光案内所の無料パーキングに駐車し、環状土居(東西600m×南北310m)に至れば、土居の中には碁盤状の道の両側に家並が広がっており、家並を眺めたり公開された施設に踏みこんだりして好きなように歩むことができる。ここの1つの旧家では、当時の武家のありようを如術に知り得る。

3、橿原考古学研究所 付属博物館:車で10分ほどの先にある「出土資料博物館」●。かくも大きな埴輪をいかにして焼き上げたのか、と驚かされるなど、古代への夢が大きく膨らむ。この施設を中心に一帯の散策も楽しい。

 この3つは、いずれも知的好奇心を掻き立てる要素を多々含んでいる。映像や印刷物による資料にも恵まれており、奥深い興味をそそられながらインターバルも入れられる。おかげで、私にとっては気がかりな表記もあり、嫌が上でも頭を巡らさざるを得なかった。

 たとえば、曽我一族は飛鳥を都にする上で渡来人の力を活かした、といった表記のことだ。おおいなる疑問をいだいた。政府は公式にアイヌ民族を先住民と認めているのだから、曽我一族はアイヌ民族の後の渡来人ということになる。その渡来人が、後続の渡来人の力を活かして飛鳥を都にした、と表記すべきではないか、と思ったわけだ。さもないと、架空の大和民族などといったありえないことをでっち上げて空威張りをしたり、偏狭な心境に陥れられたりしかねない。

 

わが国初の時計(水時計)があった跡

弥勒石との地蔵

飛鳥京跡苑池

さまざまな野草

特別史跡「キトラ古墳」

 

碁盤状の道の両側に家並が広がっており

公開された施設

 今日では、人類はアフリカで誕生し、世界に散らばったことが明らかになっている。また、私たち平均的日本の血に、アイヌ民族の血が混じっていることも明らかになっている。

 そもそも私たち現生人類は、ネアンダータル人と呼ぶ他の人類を駆逐し、今日に至ったが、私たちの血にはネアンダータル人の血も混じっていることも明らかになりつつある。

 さらに、地球上の生きとし生けるものは、すべてが1つの(40億年ほど昔の地球に出現した)バクテリアから進化したものであることも分かっている。

 にもかかわらず、曽我一族の位置づけをあいまいにしようとしているような表記が気になった。

 2つ目は、鳥取市の青谷遺跡から、高松塚古墳の極彩色壁画・飛鳥美人に似た女子群像を描いた板絵が出土した、と紹介していた。ここでも気がかりな表記があった。それは、鳥取方面を古代における地方社会と見たような記述があった。明らかに古代では、今日では裏日本と呼ぶ日本海側が表日本であったわけだ。にもかかわらず、なぜ古代の地方社会云々と表記したのか。

 裏返していえば、なぜ古代の人は飛鳥という山奥を先に都を開く候補地にしたのか、ということになる。当時は日本海側が表日本であったにもかかわらず、なぜここまで足を延ばし、都を開いたのか。こうした疑問を、それぞれの時点で明らかになった事実を紹介し、それを塗り替える新発見に期待する態度や思考が求められているのではないか。もちろん「これまでは」との断りを入れるなどして、過去に信じてきたこともキチンと表記するに越したことはない。両論表記の手もあるだろう。

 人類は今日、岐路に立たされている。とりわけ、私たち工業文明圏に住まう者は岐路に立たされている。科学技術の力などで軍事的優勢を誇りながら、少数民族の迫害はもとより、地球環境まで蝕んできた。もちろんそれは自分たちを守ってきたつもりであったのだろうが、生きとし生けるものが相乗りしている宇宙船地球号を蝕み、沈ませかねないことをしてきたことが明らかになりつつある。こうしたことをキチンと学ぶ姿勢や態度、あるいは意識や認識を大事にして、覚醒しなければなら時に至っているように思う。そのような覚醒の場や機会としても活かすプログラムにすれば所期の目的を達しやすくなるのではないか。

 余談だが、今日ではアメリカ人と呼んでいる人たちの中には、まっとうな進化論を未だに受け入れていない人が少なくないという。聖書の記述に従って地球の歴史を6000年だと信じている人たちが相当量存在するという。そうしたかたくなな意識の人たちが相当量存在するアメリカが世界最強の軍事力を有している。そのこと自体が危険な何かをはらんでいるのではないか。今、その兆候が顕わになりつつあるのではないか。そのようなことを危惧しながら、飛鳥の野をさまよった。

 私たち日本人もその例外ではなく、日中朝の間に壁をこしらえたり、壁を厚くしたりする人たちがいる。そうした思考や行動が、今では宇宙船地球号を沈ませかなない時点にまでわたしたちを追い込んだといってよいだろう。そうした状況の改善が望まれる。

 このたびの半断食道場では私が最高齢であった。次の高齢者は夫婦連れであったが、「私より年上の人がカクシャクとしていると、その姿に勇気づけられる」と言ってくださった。これは私にとっては2つの意味でありがたかった。その1つは、努力が報われたようなありがたさ。2つ目は、好ましき認知症対策に取り組む好例になれるかもしれない、との歓びだった。つまり、認知症の多くは、いずれ成人病の1つに数えられるに違いないと私は睨んでおり、その対策の一環としてこの半断食道場を組み込み始めた私だが、その有効性の実証例になれる可能性が無きにしも非ず、との歓びだった。

 当初から、血液の浄化と消化器の状態改善を実感するだけでなく、大げさに言えば「人類の衣食住問題」に感心がある私にとって、一番踏み込めていなかったのが「食」だったが、一筋の太くて確かな光明を得ている。それに加えて、3度目頃から「ボケ対策」にも、と期待を寄せていたわけだ。

 当初は「食」を、車にとってのガソリンのように見ていた一面があり、恐怖心をもって参加したものだが、そうではなかったことを知り、覚醒するものがあった。2回目には、身体疾患を改善に向かわせる役割も備えていそうだ、との実感はもとより、むしろ精神が冴え、意気が上がる体験をした。こうした体験や経験を重ね、ついに「ボケ対策」にも有効であるに違いない、と思うようになり、この度の参加となったわけだ。

 この間に、NHK-TVなどのおかげで、この想いを補強する情報も得ていた。「ゴースト血管」の原因の1つも食問題だった。「人体」の番組でも思うところが多々あった。そうした関連情報に恵まれたこともあって、楽しい1週間になった。