実に楽しい対話
 

 こうした考え方が、国民を互いに幸せにするのではないか、と思いながら話が弾んだ。教え子AGUの作品を、とりわけAGUが、自身のプロフィール紹介として用意した作品を話題にしたときのことだ。

 どちらかと言えば私も、年齢とか性別、国籍や出自、あるいは所得や肩書などの属性にはあまり興味を示せない。聴いてもすぐに忘れてしまう。いつしか、そのようなものは、たいした問題ではないことを、さまざまな国や地域を旅した時などに思い知らされて来た。

 ならば何に興味を示すのか。それは「その人独自のありよう」ではないか。さらに言えば、その人のありようが、そのありようを生み出させたその人の想いが、どのような人との縁を、もっと厳密に言えば他の(人間の属性など通じない)生き物との縁を、どのように形成させているのか、ではないか。

「これでは、あなたのプロフィール紹介としては不十分だよ」と私が評したAGUの作品に、彼は興味を示した。その目で見直しながら、私はAGUに恥ずかしい注文を付けてしまったようだ、と反省した。「文字や写真を用いて、補足資料をつくってはどうかナ」と勧めたのだ。

 反省しながら、見直してみると、「これはマリオネットの舞台なンだ」。その一幕として「AGUは控えめに登場できるようになっている」。手作りだから、その器用さや根気のほど、構想力や修正する力量、あるいは繊細さや決断力などが伝わってくることに気付かされた。

 実に爽快なゲストルームでの一時であった。もちろん彼も、すぐに気が着いたことだが、ゲストルームでは飾り棚として1つのワゴンを用いている。いわくつきの、わが家の宝物だ。喫茶ルームで用いている什器をつくった作家・フィンランド人アルバー・アルトの作品だ。

 月が明け、半断食から戻り、体重を2kg余もリバウンドさせたときにAGUから、再訪の連絡があった。AGU は12時頃に京都に着く、と言っていたし、この日は1つの事件が生じていたから、これ幸いにとゲストルームで昼食を共にすることにした次第だ。